#3 大と小
入社してから2年と少し。大との時間を少しでも充実したさせるために仕事は絶対に持ち帰らないのが自分なりのルールだった。特に休日に仕事を持ち越さないように気をつけていた。しかし、月日がたち、少しずつ新人としての扱いは薄れ一人前の仕事を任されるようになった。売上のそう多くないこの一般中小に先進的なホワイトはなく、給与と比べ、多少多めの仕事量が要求された。これまでには何とかしてきたのだが、今回の仕事はなかなかに手こずってしまった。このような仕事を任されるのは先輩上司から認められた証でもあった。だからこそ、終わらせられなかったことが悔しくもあった。とはいえ、あと数時間パソコンの前でにらめっこしていれば終わるようなもので、仕事自体にそれほど面倒くささを抱かなかった。そして、大のいる場所での仕事も悪くなかった。同居人は慌ただしく家事におわれている。彼の祖母譲りの家事能力は飛び抜けていて、テレビに紹介されるスーパー家政婦のような、いわゆる「家事のプロ」に引けを取らない能力の持ち主だった。料理が出来ないことを気にしているようだが、ここまで他のことがでこるのだから料理くらいは俺に作らせてもらわないとこちらが申し訳ない。もっと自信をもって欲しいものだ。まぁ料理は確かにまずいが。欲を言わせてもらえば、料理なんかよりエプロンを着て家事をして欲しい。さぞ眼福だろうに.......。と、いささか邪な考えを巡らせたことを反省し、再びパソコンに目を向ける。仕事の時だけブルーライトカット加工で少し青いレンズの、あまり度の強くないメガネをかける。縁の黒いありきたりなメガネだが、学生の頃からの愛用品だ。仕事は職場より断然捗った。仕事場が変わった新鮮さのおかげもあるが、きっとそれだけではない......。まぁ言うまでもない。テレワークたるものの良さを実感した気がして嬉しくなる。仕事も終盤に差し掛かった頃、空っぽになったコーヒーを大が気を利かせて注ぎ直してくれた。もちろんブラックだ。コーヒーのそのままを味わえる。熱々のコーヒーに手を伸ばすと大もコタツに入ってきた。こたつの天板に伏せてこちらを見ている。可愛い。自宅での仕事は最高だ。これからも仕事をたまに持って帰ってこよう。瞬間的にそう思った。この2年間守ってきたルールはこの瞬間消滅した。自分のルールが一瞬にして覆る程の魅力だったのだ、仕方あるまい。
「メガネ、いいね なんか新鮮」
褒められたことが素直にうれしかった。言われれ慣れない褒め言葉に照れを隠しながら、キメ顔をしてみる。
「見てていい?」
「い、いいよ」
その顔で見つめられて、集中できるとは思えなかったが、その懸念以上に大の顔を見ていたかった。そのまま数十分。いや1時間はたっていたかもしれない。何はともあれ何とか仕事を終えた。あの微笑みの破壊力はずるい。人間の集中力を消しに来る。仕事にミスがないといいが.......。とはいえ、楽しい仕事時間ではあった。過去最高かもしれない。入社して1年目、初めてあの怖い先輩に褒められた時以上の達成感だ。
「お疲れ様」
大が優しく労ってくれた。休日の仕事もいいもんだなと不意におもう。大はおもむろに立ち上がり俺の方を向けて腕を広げた。2人特有の合図だった。大はハグが暖かくて好きらしい。俺から拒否する理由もなく、むしろハグはウェルカムである。俺も立ち上がり、手を広げ目の前の巨体を抱きしめた。ハグをすると身長差が浮き彫りになる。身長が低いのはコンプレックスではあったが、お互いの呼び名「大と小」を象徴するようなこの状態が嫌いではなかった。大の筋肉質な胸に顔を埋める。大の匂いがする。同じ洗剤を使っていて
、ここまでいい匂いになるものだろうか?そう思うほど落ち着く優しい香りがする。
「なんかくまに抱きしめられてるみたいで落ち着く」
「ははは、くすぐったいし 何言ってるか分からないよ」
彼のパーカーに顔を埋めていたため、自分でもよく分からない発音になっていた。
「いや、楽しいなぁと思って」
わざわざもう一度いうことでもなかった(しかも、大はくま扱いされるのを好まない)ので言葉を変えた。嘘ではなかった。
「そうだね楽しいね、そして暖かい」
大も賛同した。
俺は悪くない休日だったことを喜び、パートナーの胸で心底リラックスしていた。ヤメ時も分からないまま何分も抱きしめ合った。足がくたびれるまでずっと2人で体温を分け合っていた。
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