ふるさとは遠きにありて
また帰省したい。
いや、ただ旅にでたいのか。
どこか少しでも遠くに行きたい、日帰りでもいい。
本来ならば2月末に手術予定で、その後の放射線科通いも考えたら、春の帰省はどのみち難しかったのかもしれないけど…
夙川の桜を観に帰りたかった。
前回帰省した時は手術が徐々に見えてきた、2種類目の抗がん剤3クール目の直前。
その3クール目でコケて、いまに至るわけで。
帰省しても良かったんだけど、その気持ち押し通すほどメンタル鋼じゃなかったね。
手術前倒したのに、結局まだ放射線科通いは、前の予定より開始が延びていて…
当初は放射線までは予定していたけど、術後補助は考えていなかったし。
☆*☆*☆*☆*☆
春の桜と、教会のクリスマス以外で、ワクワクするような何かって思いつかない。
カトリックだから、お盆も関係ない。
故郷だし、いつ帰ったって良いんだけど。
それにイベントない方が、じっくり鳥見も酒蔵見学も行ったり出来るはずじゃない?と頭では判るのに、なぜだか帰る正当な(?)理由を探してしまう。
そこそこ旅費もかかる。
お土産も買うんだから、実家のある土地に帰省する人は旅費が割引になる制度とか、あれば良いのに。
一時期ブームだった、ふるさとナンチャラみたいなものとか。
飛行機が意外にも新幹線より安く早く便利だったけれど、ウチから羽田に行くのに通勤ラッシュ時だったのはイタかった。
次は出発にゆとりを持って予約しよう。
でも、ほんとは新幹線で移動したかった。
国内は鉄道を使いたいのです。
なんだろう、旅感があるのかな。
飛行機だと速すぎて、なんだか遠くに帰った感じが薄れて、気持ちがついていかない気がした。
[パノラマ:写真左側は西宮浜、真中右手が芦屋浜団地、右端が香櫨園の回生病院]
12月頃には、夕陽が芦屋浜の高層団地に沈む。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの」
あっという間に帰れてしまうと。
そして予定に追われてバタバタ過ごしてしまうと。
この詩の心情には、ほど遠い感じがしてしまう。
帰省に対して、こういう心の動きを求めてしまうのはなぜだろう。
少なくとも私にとって、故郷は帰りたくない場所でもあり。それ故にまた美化もしているんだろうな、と思う。
自分ひとりの時間をつくって、苦楽園口から香櫨園浜へと、翡翠と追いつ追われつしながら、カメラを片手に夙川沿いを歩いて浜辺に辿り着いた時。
やっと、ああ、帰ってきたなぁ、と実感が込み上げてきた。
帰省して3日目だった。
通ってた教会。
左側のモミの木かな。
わたしが小さい頃も、それは大きな木だったけど、当時はクリスマスには華やかな飾りが付けられていた。
今はそれ以上大きくなって、飾りは無くなってしまった。
最近noteを始められた千里さんも、阪神間に縁のある方で…なにかの撮影で、教会来られたとか言ってた人がいたなぁ。
ホントかどうか分からないけど。
この教会で母は事務所に勤めていました。
当時はMRさんやH医大の看護師さん、K大で遺伝組み替えの研究室へ進んで渡米された方…も信者さんの中にいらっしゃり。
日曜学校で、よくお世話になりました。
面白い環境でした。
宗教思想へドップリ浸かるというよりも、理科系な話や、多方面から宗教について考えられる場所で。
残念ながら、わたしは残念な人止まりなんですけどね。
たぶん、自然再生とか、自分の病気の遺伝子の事とかに私の関心があるのは、そういう過去の環境に影響を受けているからなんだろうなと思う。
悪い言い方をすれば、過去に囚われてる部分でもある。
苦楽園口駅のある辺りから、夙川の北側。突き当たりに見える甲山に、母は眠っています。
春には桜が綺麗です。西宮は市の花が桜で、私の小学校も校章が緑に咲く山桜。
駅前は、意外にも昔と変わらず営業を続けている本屋や家電屋、喫茶店が残っていて驚いた。
↑ 左側2軒って、小学校時代より前からある(笑)
↓ 大昔は向かいの系列飲食店はなかった。
お昼に中華料理、食べさせてもらいました。
いかり系列といえば、かなり昔に夙川駅北側にハンバーガーショップ?
狭い間口のハンバーガーを出す喫茶店みたいなのがあって、そこでハンバーガーを食べるのって物凄く贅沢だったなぁ…
シーマンとかって海関係の名前だったか…
当時はマクドナルドだって、ちょっとした贅沢品。西宮北口まで電車で行かなきゃ食べれなかった。
こうした町中にあるのは、寿司屋、中華屋、うどん蕎麦屋。
ちょっとした喫茶店…は苦楽園口は少しスペック高い気もしますが、軽食のサンドイッチ類が美味しい。
何しろ、コンビニというのが無く、近いものは町の米パン雑貨屋か三河屋という時代。
スーパーは普段は「コープこうべ」良い日は「いかり」。
駅前2軒とも、うどん蕎麦屋も健在でした。
そういえば。
ここの鍋焼きうどん大好きだったなぁ…
☆*☆*☆*☆*☆
むしろ大きく変わったのは、変わらないものと思っていた大手銀行のあった場所…
30年も経つと、当時は考えもしなかった事が起きる。
小中学生じゃ、世の中の仕組みなんて理解しきれていないんだから、当然か。
この辺りは比較的平地で、昔住んでいた家はここから北側、越木岩神社の近くで、坂ばかり…
ほんっと大嫌いだった、登り坂。
坂も山も海も、あるのが当然過ぎて。
ずっと平いところに住みたかった。
失うとそんなものですら、恋しくなるものらしい。
いやいや、やっぱり毎日の坂道はもうカンベン。
足太くなるし!
軽く登山みたいなもの、だった。
通学路はピンカーブ、近道は獣道。
学校の行き帰りは、道端に生えてるものや、枇杷の実を食べたり。
(ケッコー怒られた)
☆*☆*☆*☆*☆
本当は当日、御墓参りを済ませたら、甲山から歩いて甲陽園を抜ける方向に下山して、浜まで出たかったけれど。
天気が崩れそうなのと体調もあって、実父に止められました(笑)
次に帰るときは、絶対に酒蔵めぐりもするぞ!
こちら側は、あまり馴染みじゃないんですよ、市内でも。
大人になったら、割と徒歩で行けちゃうもんだなぁと今回思った。
震災以降、昔と少しばかり道が変わって近くなったかな。
浜側は芦屋へも通り抜けしやすくなったし、夙川駅前は山手幹線道路が完成していて面喰らった。
あの辺は、細道を抜けなきゃならなかったのにね。
私が産まれた頃は、駅前のダイエーすら無かったですから。
まだグリーンタウンが健在なのが不思議。
もう、築40年近いでしょう。
☆*☆*☆*☆*☆
なんでこんな事を、帰省から数ヶ月も経って、ウダウダと書いているかというとですね。
副作用で「ぐでたま」になってるのもあるのですが。
明日は早めに出ないとなぁ…という案件があってね。
落ち着かない気分なのです。
どうしたって己が気持ちは揺れるものだから。
この手のことでは、しょうがないよ。
無理に優等生ぶって納得したところで。
望みの答えがある以上。
望みが叶わなければ、気持ちは揺さぶられる。
そして、望み通りの答えは、大人の話し合いや金の詰まった菓子折では得られないのだから。
あるがままに受け入れるなど、自分のような小さな人間には到底出来ない事なんだろうと思う。
だからせめて、どこかに行って忘れてしまいたい。
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