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戦国若狭国人名辞典


【あ】

青井将監【あおいしょうげん(15??~15??)】

足利義輝家臣。大飯郡青井館主。幕府奉公衆。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

青井右京亮【あおいうきょうのすけ(15??~1560)】

武田元光家臣。大飯郡小村館主。室は寺井源左衛門。1538年、「佐柿国吉城の戦い」で粟屋元隆が武田信豊勢と戦い没落したため、小村館を領した。1560年、「小村館の戦い」で寺井源左衛門、松宮清長勢と戦い討死した。参考文献:「丹波霧の里」by多田繁次。

青左近将監【あおさこんのしょうげん(15??~15??)】

遠敷郡青館主。参考文献:「丹後の地名」byKiichi Saito。 

粟屋元隆【あわや もとたか(15??~1542)】

三方郡佐柿国吉城主。笑鴎軒悦岑の男。官途は大膳大夫。室は勧修寺尚顕の娘。小浜代官職を務めた。1538年、「粟屋元隆の乱」で武田信豊勢と戦い敗退した。1542年、「河内太平寺の戦い」で武田信豊に従い畠山稙長、木沢長政とともに細川晴元の家臣三好政長、三好長慶、遊佐長教勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

粟屋勝久【あわやかつひさ(1523~1585)】
 
粟屋元隆の男。官途は越中守。室は丹羽長秀の娘。1542年、「河内太平寺の戦い」で粟屋元隆が細川晴元の家臣三好政長、三好長慶、遊佐長教勢と戦い討死したため、粟屋家の家督を相続した。1556年、「武田義統の乱」で武田義統に従い武田信豊勢と戦い戦功を挙げた。1561年、「第一次粟屋勝久、逸見昌経の乱」で逸見昌経とともに松永長頼の支援を受け武田義統勢と戦い敗退した。1568年、「後瀬山城の戦い」で武田元明に従い朝倉義景勢と戦い武田元明が捕縛され越前国一乗谷に幽閉された。1570年、「越前金ヶ崎の戦い」で織田信長に従い朝倉義景勢と戦い幽閉されていた武田元明を救出した。1575年、「第二次越前侵攻」で織田信長に従い越前一向一揆衆と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

粟屋勝家【あわやかついえ(15??~15??)】

粟屋勝久の男。通称五郎右衛門。1566年、「岩出山砦の戦い」で粟屋勝久に従い火矢を放って小屋を焼き払い朝倉義景勢を撃退する戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

粟屋勝長【あわやかつひさ(15??~16??)】

粟屋勝家の男。稲葉貞通に仕えた。家老職を務めた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

粟屋助太夫【あわやすけだゆう(15??~1635)】

粟屋勝家の男。羽柴秀頼に仕えた。1615年、「大坂夏の陣」で羽柴秀頼に従い松平元康勢と戦い敗退したため、藤堂高虎に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

粟屋家長【あわやいえかつ(14??~1527)】

粟屋勝久家臣。遠敷郡山内館主。官途は周防守。1527年、「桂川の戦い」で細川高国に属した武田元光に従い畠山義堯、柳本賢治、三好元長、波多野元清勢と戦い討死した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋光若【あわやみつわか(1516~1575)】

粟屋家長の男。官途は式部丞。奉行衆を務めた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

粟屋弥四郎【あわややしろう(15??~15??)】

粟屋勝久家臣。1575年、「第二次越前侵攻」で若狭海賊衆とともに織田信長に属した粟屋勝久に従い越前国沿岸の湊を襲撃した。1582年、「本能寺の変」で織田信長が明智光秀勢と戦い討死したため、羽柴秀吉に仕えた。1592年、「文禄の役」で羽柴秀吉に従い肥前名護屋城三の丸の守備した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋右衛門大夫【あわやうえもんだいふ(15??~15??)】

粟屋勝久家臣。大飯郡白石山館主。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋小次郎【あわやこじろう(15??~15??)】

粟屋右衛門大夫の男。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋右馬允【あわやうまのじょう(15??~15??)】

武田信孝家臣。1552年、「武田信孝の乱」で武田信孝、熊谷勝直とともに武田信方勢と戦い撃退された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

粟屋親栄【あわやちかえい(14??~15??)】

粟屋賢家の三男。官途は左衛門尉。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋勝春【あわやかつはる(15??~1535】

粟屋親栄の男。武田元光の後見役を務めた。三条西実隆から『源氏物語』の講義を受けた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋元勝【あわやもとかつ(14??~15??)】

足利義晴家臣。粟屋賢之の男。官途は左京亮。遠敷郡幕府御領所の代官職を務めた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋元行【あわやもとゆき(15??~15??)】

粟屋元勝の男。官途は左京亮。1536年、遠敷郡幕府御領所の代官職を務めた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

粟屋長景【あわやながかげ(15??~15??)】

粟屋勝久家臣。官途は美作守。1577年、市村八郎右衛門尉とともに日向浦と早瀬浦の網場紛争についての裁決を奉書で伝えた。参考文献:「福井県史」by福井県。

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