
関ヶ原の戦い vol.1
ファミリートラブルからの全国バトルロイヤル
さあ! やってまいりました!
という感じがすごーく似合う、戦国時代の総決算バトル。『関ヶ原の戦い』。
「戦国時代ってどこまでが戦国時代?」
という話になると、関ヶ原さんはハミ出しくらってる可能性があるんだけど(1590年まで説なら)、この戦いを抜きに戦国の話をしちゃうと、寝覚めが悪くてコーヒーの味すら白湯に感じます。
ちゃっちゃとその概要を説明しますとね、
《豊臣秀吉が死んだあと、豊臣家はゴッタゴタに。権力ガチつよになった徳川家康と、それに反抗する石田三成がモメにモメた結果、1600年に合戦へと発展。日本全国の武将が東軍と西軍にわかれて、とーっても大きな戦いを繰り広げます。で、家康が勝って、その3年後に江戸幕府を開いちゃうのでした。》
といった感じで、
『戦国後期のオールスターゲーム』
と言っていいのが、『関ヶ原の戦い』です。
これまでの戦いも、武将たちの多種多様な心の動き、思いもよらない展開……いろんな人間ドラマが音色のように奏でられたものばかりでしたが、それで言うと関ヶ原さんは、
"思惑とプロセスのオーケストラ"
です。
すごい数の人間の立場や心情が複雑に絡む話なんで、細かいエピソードもたくさんあるんですが、相変わらず大まかな流れをここに書きます(で、あいかわらず気になった部分があったら是非ご自分で調べてみてください)。
ではいってみましょう。
『関ヶ原の戦い』です。
あら?
なんだか豊臣秀吉さんが苦しそう(入りが絵本みたいになってしまいました)。
「明を攻めるぞー! でもまず先に朝鮮だぁー!」
と、意気込んでた秀吉さんでしたが、その途中に病気がち、というかガチガチの病気になってしまいます。
で、
死にます。
「え、日本のトップがいなくなったらヤベぇーじゃん」
て話ですが、秀吉さんには、
豊臣秀頼くん
という子どもがいたんでそこは安心……かと思いきや、
遅くにできた子どもだけあって、この子がまだバリちっちゃい(秀吉が亡くなったときで6さい)。
今度は
「え、跡を継いでも政治できねぇじゃん」
という話になってくるんですね。
が、この問題もすでにクリア済み。
秀吉が病気で、うぅー…ってなってた頃から、豊臣家には
「五大老五奉行制」
という仕組みが誕生していたのでした。
“五大老”ってのは、「"豊臣秀吉に途中から従った"力の大きな5人の大名(外様)」のことで、メンバーは、
徳川家康、前田利家(秀吉仲良し)、毛利輝元(元就の孫)、上杉景勝(謙信の養子)、宇喜多秀家(岡山の人)。
って人たち。
“五奉行”ってのは、「”豊臣秀吉の直属の部下だった”、政治のお仕事をがんばる5人の家臣」のことで、メンバーは、
石田三成、浅野長政、増田長盛、長束正家、前田玄以。
って人たち。
あくまでたとえだけど、「豊臣グループ」って大きな会社があったとしたら、その子会社や関連会社の社長が、"五大老"。
本社の社員が、"五奉行"。
みたいな感じかな。
この合わせて10人のおじさんが、
「集まって会議して、政治すすめていこー(合議制って言うよ)」
というシステムが「五大老五奉行制」で、すでに”秀頼くん完全バックアップ体制"は整ってたんですね。
(実際には「五大老」「五奉行」っていう、正式な名前があったわけじゃないっす。しかも最近じゃ「"大老"が奉行と呼ばれたり、"奉行"が年寄と名乗ったりしてた」とか、いろいろアベコベなんですが、ま、とりあえずはこれで)。
しかも、秀吉さんは死ぬ間際、
秀吉「ひ……秀頼のことを……く、くれぐれも…くれぐれものやつです」
五大老五奉行「おす!!」
秀吉「ひ、秀頼が成人するまでは……前田の利家っちが大坂城(大阪)に入って、秀頼の後見人をやってください………家康さんには伏見城(京都)に入っていただき、日本の政治をやってもらいたい…」
前田利家・家康「ラジャー!!」
と、みんなに念入りにお願いしてたので、豊臣家と日本は、これからもずーーっと平和なのでした。
……と、
そんなわけがないんです。
このままなにもなければ『関ヶ原の戦い』は起こってませんし、この文章もこっから急にポエムとかになったでしょう。
豊臣家というのは、秀吉というカリスマがいたからうまく回っていた政権です。
図太い柱がスコーンと抜けちゃったんですから、そりゃトラブります。てか、ここから豊臣家を待ち受ける出来事は、
"トラブルの1択のみ"
です。
というわけで、まずご紹介したいのが、最初のトラブルを作ったこちらの方。
太閤はん亡きあと一番の実力者、
徳川家康
さんです。
ちなみに、「大名の『石高』ランキング」を見てみますと……
1位 徳川家康(五大老) 約255万石
2位 毛利輝元(五大老) 約120万石
3位 上杉景勝(五大老) 約120万石
4位 前田利家(五大老) 約83万石
5位 伊達政宗 約58万石
6位 宇喜多秀家(五大老) 約57万石
圧倒的1位なのが家康さん。
同じ五大老でも、1位と2位でダブルスコアついちゃってる。そりゃなんか動きたくもなるでしょう(このときの家康の領地は関東。秀吉の命令でガバッとお引越ししてたんです)。
そんなダブルスコ康さん。秀吉が死んだとたん、いろんな大名(島津、増田、細川、長宗我部など)のお宅訪問を始めるんですが、
これがよくなかった。
建ものを探訪するなんて渡辺篤史さんしかやっちゃいけません。
なにがよくないって、"みんなと仲良くしようとした"というのがヒジョーにマズいんですね。
大名同士が個人的に仲良くなると、そのグループの勢力が強くなります。それはやがて、豊臣への謀反につながるかもしれません。
だから秀吉は、生前「大名同士で契約書交わして仲良くなんなよ!」などの決まりを作って、大名が勝手につながることを禁止していたんです(「御掟」(おんおきて)って言います)。
なので、家康がやってるお宅訪問はギリッギリの行動。契約書こそ交わしてませんが、アウトに限りなく近いセーフ。
て、思ってたら……
使者A「ちょっと家康さん!! こちら四大老(家康以外)と五奉行から『家康を問い詰めてこい!』と言われて来た使者ですけど、どーなってるんですか!!」
使者B「あなた、御掟おぼえてますよね!? その中の一つに『大名家同士の勝手な婚姻は禁止』とあるんです! いいですか"禁止"です!!」
使者C「それなのに!! あなたは自分の子ども(養子含む)と、ほかの大名の子どもとの結婚をバンバンすすめてらっしゃる!! 蜂須賀、福島、伊達、黒田! 豊臣家の大事なルールを破るとは、これイカに!!」
家康「うるせータコ」
使者C「じゃあお次はエビだ! バッッッカヤロー!!! おもしろくねぇよ!!」
ついに家康、秀吉が設定したルールをぶち破って完全アウト。しかも…
家康「ごめんごめん、婚姻のルールね。忘れてたわ」
使者A「(座ってるのに転ぶ)わすわすわす、わす……ふざけんな!! 納得のいく答えをもらえなければ、大老をやめてもらうことになるぞ!!」
家康「ほぉ……。私に『政治を任せるよ!』と言われたのは太閤殿下だ。この家康を大老から外すということは……あんたら秀吉様の遺命に背くってことか?」
使者B「(変な顔になっちゃって…)いや……それは…」
家康「ちょっと忘れただけでギャーギャー騒ぐな!!!! 帰れっ!!!!」
使者たち「ぬぅわーーー!!」
開き直り、使者をおどして追い返した(なんて説もある)のでした。
この当時の結婚は、イコール同盟。
勢力を強くする働きかけはダメだっつってんのに、家康はそれをガン無視したんです。
当然、大坂城にいる四大老・五奉行はブチギレカーニバル。
しかし、伏見城の家康も
「そっちがそんな雰囲気ならさ…」と、関東から家臣と兵士を呼び寄せちゃって、臨戦フェスティバル。
家康がルールを破ったことをキッカケに、
家康 VS 四大老・五奉行
という対立が生まれ、大坂城と伏見城の間に、一触即発の空気が流れるんです。
そんな中、
石田三成「っざけんなよぉ!!!!」
家康に対して特に怒り心頭だったのが、『関ヶ原の戦い』のもう1人の主人公、
石田三成
さんです。
この方、若い頃から秀吉に仕え、長いこと豊臣家に尽くしてきた豊臣ラブの塊。今もそのすべてを秀頼くんに捧げる、豊臣一筋の優秀な奉行です。
そんな三成だからこそ、とにかく家康に腹が立ってしょうがありません。
三成「何を……何を考えてんだ家康さんは!!!」
加藤清正「いやお前もな(怒)」
あれ?
おかしいね? 三成さんも誰かに怒られてるね(つなぎ方がEテレの何かみたいになってしまいました)。
そうなんです。家康にブチギレてる三成ですが、彼は彼はで、同じ豊臣家の家臣たちから絶賛ブチギレられ中だったんですね。
これまたトラブルの匂いがプンプンする展開ですが、いったい何があったんでしょう?
思いあたる原因は2つ。
1つめは、
「三成たち五奉行に対して、いろんな武将がムカついてた」
ってのがあげられると思います。
「奉行だかプジョーだかしんねーけどよ! ただの役人がエラそーにすんじゃねー! 『これは秀吉様のご命令です』って感じでツンとしやがって! いいか! 秀吉様がエラいだけであってお前らはエラくない! 秀吉様が亡くなってからもそうだ! いくら遺言とはいえ、ソロバン弾いてるだけのヤツらが政権の真ん中にいて、豊臣家を取り仕切ってることに納得がいかねー! 槍働きも満足にしてねーお前らが格上の大名にエラそーに命令すんな!」
と、不満がタラタラです。
で、2つめ。
こちらが三成個人への恨みなんですが、
「朝鮮出兵に関して、三成多分やらかしてる」
というものです。
朝鮮出兵での三成の仕事は、武具や兵糧の準備などの戦闘サポートと、秀吉と現地との連絡役。
前線でバリバリ戦っていたのは、
加藤清正、黒田長政、藤堂高虎、蜂須賀家政
といった戦闘タイプの人たちです(「武断派」とか「武功派」なんて言ったりします。朝鮮出兵以前の加藤さんは、意外にも奉行的な活躍の方で目立ってたりしますが)。
秀吉的には「ドンドン攻めろー!」の朝鮮出兵。だけど、現地の武将からすれば、
「いやムリムリ。状況かなり厳しめなんだから慎重にいかないと…」
ってのが本音です。
それなのに、彼らがちょっとでも戦闘を行わないと、
「あいつらちゃんと戦ってません! 手を抜いてます!」
なんて、サボり報告が秀吉に届き、
「なにやってんだ!! お前は謹慎! お前は領地ボッ収!!」
という、バチギレ&処罰の戦闘ハラスメントが起こっちゃう。
で、その報告をしたのが三成の身内……
で、そいつは逆に、報告のご褒美で領地が増え……
で、三成も秀吉から領地を与えられそうなったもんだから(辞退したけど)……
「なんっっでだよ!!!!!」
戦闘タイプの怒りゲージはMAXを突き破ります。
加藤清正「ふざけろよおい……苦しい思いをして戦ったオレたちが痛い目を見て、デタラメな告げ口をした連中には恩賞が……」
黒田長政「この一件、連絡役の三成も絶対関わってんだろ……」
蜂須賀家政「どーーいうことだ三成ぃぃ!!!!」
といった具合に、三成へ大きな怒りがむけられたのでした。
てことで、豊臣家には、三成&奉行たちにキレてる戦闘タイプが何人もいたんですね。
ほんで家康は、三成にキレてるこの人たちと仲良くなってるわけです。
そーなるとどうなります?
何人かの豊臣系の武将は家康に味方しますよね。
家康と四大老・五奉行のいがみ合いに、数人の豊臣系大名も加わり、
伏見城(家康・豊臣系武将) VS 大坂城(四大老・五奉行)
の緊張が一気に高まることになるんです。
2つの城がロボならあとちょっとで変形するというところ。
だったんだけど…
利家「家康さん、仲直りしよう! ガルルルーってして悪かった」
家康「やや! やややや! こちらこそ悪かった。チャラにしよう!」
思ったより早めに握手。
「いま病気しちゃってるから、家康と戦うのしんどいな…」と思った利家さんと、「ま、悪いことやったのこっちだしなぁ…」という家康さんの考えが重なったのか、ソッコーで仲直りが成立するんです。
その後、利家さんが家康さんのお屋敷を訪れたり、家康さんが病気の利家さんを見舞ったりと、両者の関係は良好に。
こうして豊臣家には、幾久しく平穏無事な日々が訪れたのでした。
……と、
そんなわけがないんです。
何回も言いますが、これで終われば『関ヶ原の戦い』は起こってません。
これまでに出てきた人の"死"をキッカケに、豊臣家はまた、
荒れます。
独裁バルーン
さぁパート2です関ヶ原の。
まずはそう前回のおさらいですね。
秀吉死んじゃうよー。
↓
政治は、五大老五奉行がするよー。
↓
家康と四大老・五奉行でモメるよー。
↓
仲直りするよー。
↓
でもね……
前田利家が亡くなります。
これが実にマズいんです。
利家さんてのは、秀吉の昔からの友人で、家康と唯一渡り合えた実力者。利家さんがいたからこそ豊臣家はまとまっていたし、家康もへたに動けなかったんですね。
そんな大御所が亡くなったんです。リアルに「家康 VS 三大老・五奉行」の戦争が、いつ起きてもおかしくありません。
そして、予想よりずいぶん早くその日はやってきます。利家が亡くなったなんと、
"次の日”。
加藤清正「三成覚悟しろコラァァァーー!!!」
6人「三成ぃぃぃーーー!!!」
そっちね。
「家康 VS」じゃなくて「三成 VS」の事件なのね。
アクシデントが起こるには起こりましたが、思ってたのと違いました。
奉行たちに超絶ムカついてる
加藤清正、黒田長政、福島正則、蜂須賀家政、藤堂高虎、細川忠興、浅野幸長
の7人が、三成を襲うという
七将襲撃事件
を起こすんです(史料によってメンバーが違ったりするけど、この7人の可能性が高いよ。あと"襲撃"はしてなくて"訴訟騒動"だったって説もあるよ)。
しかし、三成くんは襲撃の情報を事前にキャッチ。大坂を出て、伏見城の自分の屋敷へと逃げ込みます。が…
あとを追っかけてきた7人も伏見城の外へ到着して、
福島正則「出てこい三成ぃぃぃーー!!! 一緒にいる奉行たちもだ!!」
お城の中と外でニラみあいになったのでした。
戦闘タイプ7人 VS 三成だなんて…ティラノサウルス7頭 VS スコティッシュフォールドみたいなもんです。
恐怖におびえ、キョドって震えてパニクる三成。
の、姿を想像しますよね普通。でも…
三成「輝元さん! ヤツらの動きがストップした今がチャンスだ! こちらから戦いを仕掛けましょう!」
化けスコティッシュフォールドになってる。
なんと三成、おびえるどころか、逆に家康派の7人をぶっ倒そうとするんですね。
仲間たちと一緒に逆襲の作戦を考え、五大老の毛利輝元にも戦いの準備をお願いするというギラつきっぷり。戦闘オーラが目に見えるようです。
が、生気みなぎるひまわりのようなオーラも、ひまわりのように枯れていくことになります……。
小西行長(仲間)「ダメだ! 大坂城にいるヤツらも家康になびいてる……。オレたちが城に入るのを止めてきやがる……!」
大谷吉継(親友)「大坂城に入れないとなると、秀頼様はあちらの手に……これでは誰もついてこない!」
安国寺恵瓊(坊さん)「どうにかならんもんかね!」
三奉行(増田・長束・前田)「もうムリだよ〜」
もうシナシナだね。
家康の手がまわるのが早いったらありゃしない。みんな「秀頼様はあちらの手に…」ってので激ヘコみしてますが、たしかにこれはかなりオワッた感強めなんです。
三成たちが、7人の武将や家康を倒すには、やはりいろんな大名の協力が必要なんですね。
そのためには、
「みんな協力して! 正しいことしてるのはオレたちだ! なんてたって公式に動いてんだもん!」
ってことが言えなきゃダメなんです。
では、このときの公式、オフィシャルってなんでしょう?
それは"豊臣家が認めてるかどうか"→つまり、豊臣のトップ・秀頼くんが認めてるどうか→でも、秀頼くんはまだ子ども→本人が判断をくだす…なんてのは無理。
だからぶっちゃけ、"秀頼くんを手元に置くことさえできれば"、そのグループが公式、オフィシャルの存在になれたんです。
つーわけで、家康に秀頼くんを持っていかれた今、三成たちが大名に協力を求めても、
「え? 秀頼様いないんでしょ? じゃお前ら勝手に動いてるヤベーやつじゃん。話しかけてくんじゃねー!!」
と断られるのがオチ。
うん、やっぱりオワッてます。
家康「はいはい、鎮めよう鎮めよう。家康はね、天下の政治をあずかってますからね。もうこの騒動鎮めましょうね」
そこへ、最終ジャッジを下すべく、家康の登場です。
家康「とりあえずね、三成くんを追いつめるのはダメ。そんなことしたらかわいそうでしょ」
加藤清正「でもね、あのね、あのね…」
黒田長政「だってね、三成がね、あのね…」
三成「………」
家康「はいはい、1人ずつ1人ずつ。じゃ長政くんからね。……うんうん…うん…」
福島正則「でね、あのね、」
家康「あのねじゃないよ笑 まだ長政くんの聞いてんだからー。長政くん続けて。……うんうん……うん…朝鮮での……うん……ん? あー、うん……ん? あー、ん? んんんうんうん……なるほどねー。で、福島くんは?」
福島「奉行! キラい!」
家康「あーそう笑 じゃ、こうしよう。黒田くんや蜂須賀くんの朝鮮での働きを調査し直す。そうすりゃボッ収された領地を返すことができるかもしれないよ?」
黒田&蜂須賀「ホントに!?」
家康「うん、ホント。で、次ね。三成くんは佐和山城(滋賀県)で隠居することになったんだけど、奉行のみんなは豊臣の家をよくし…」
三成「え、え、え、え、え、え」
家康「え、じゃないよー。そりゃそうだよー。騒動の原因作っといて、命も助かる、バツもなし、はいハッピー。そんなわけにはいかないよー。で、三成くんが責任を取るって形にするから、ほかの奉行はおとがめナシ!」
加藤&浅野&細川「えーーー」
家康「えーじゃありません。奉行たちもそれでいいね?」
三奉行「(三成をチラッとみて)……はい!」
三成「な!」
家康「よし、これで一件落着だね!」
藤堂高虎「見事なご裁定。心から敬服いたしました」
家康「お……おう……」
三成を佐和山城(三成の城)にぶっ飛ばして、ジャッジ終了。
三成派だった毛利輝元とも、あらためて仲直りの起請文(契約書的な)を交わします。
毛利輝元「「なんのかんの書いて)家康さんを父兄のように思う」
徳川家康「(なんのかんの書いて)輝元さんを兄弟のように思う」
いや合わせろや。
って感じですが、これはある意味ワザと。
家康は"兄弟"と若干フランクな言い回しですが、輝元は"父兄"ですからね。兄も目上なら父も目上。
要するに、輝元より家康の立場が上になった。という形の仲直りだったんです。
自分に敵意むき出しの三成を政治の舞台から引きずりおろし、三成に恨みを抱いてる武将の願いを聞き届け、より一層の信頼を勝ち取る。
同格の大老でさえ家康に逆らう者はいなくなり、三成以外の奉行もすっかり家康の言うことを聞くようになって……
これぞまさに独り勝ち。
でもね、まだまだ
家康「ごめんくださーい」
家康の独走はこんなもんじゃありません。
大坂城の人「あーこれはこれは家康さん! ようこそおいでくださいました。ささ! 秀頼さまがお待ちでご……スゲー数の兵ですね……?」
家康「ええ、なんか暗殺されるって聞いたんで、いっぱい連れてきました」
三成襲撃から約半年後。
重陽の賀(9/9にある節句だよ。桃の節句や端午の節句の仲間)ってやつで、豊臣秀頼くんに「おめでとうございまーす」を言うため、大坂城にお出かけした家康さん。
実はこのとき「徳川家康暗殺計画」があるというウワサが、家康の耳には届いていて…
家康「でね、暗殺企んでるやつらをお仕置きするためにも、しばらく大坂城に住もうと思うんです」
大坂城の人「だ、え!?」
家康「え!?」
大坂城の人「え!?」
家康「え!?」
大坂城の人「いや、え!!?」
ウワサを利用し、大坂城にドカッ! と居座る家康。
大坂城の人「……てか、暗殺を計画してるのって…いったい……?」
家康「前田利長(前田利家さんの息子さん)がリーダーで、浅野長政(五奉行)などなどが計画に加わってるらしいです」
そこから、家康は前田利長に向かって言います。
家康「加賀(石川県南部)の利長さーん! なんか最近お城を修築したり、兵器集めたりしてるらしいじゃないですかー? これってー、『家康と戦ってやる!』ってことですよねー? わかりました、じゃあこちらからケンカしに行ってあげますねー!
(スウウーと息を吸いこんで…)……北陸征伐だぁぁーーーー!!!」
前田利長「ウソ!!? ちょちょ、ちょっと待ってください!! 暗殺なんて考えてません!!」
家康「ホントに? じゃ、あなたのお母さんを人質としてよこしたら信じてあげる」
利長「そ、そんな!!」
芳春院「人質なるよー」
利長「か、母さん!!」
家康「許すよー」
暗殺計画がホントにあったのか、前田さんたちをよく思わない人によるニセ情報なのか。はたまた家康本人によるデッチ上げなのか……真相は闇の中……(芳春院さんは、前田利家の奥さん。大河ドラマで「利家とまつ」ってあったんすけど、その"まつ"さんのことです)。
ですが、この騒動で、五大老の1つだった前田家も家康に従うこととなり、五奉行の浅野さんは職を解かれ追放。
残された三奉行(増田、長束、前田(玄以))も、すっかり家康にゴロニャーゴです。
しかも、家康は大坂城と秀頼くんまで手に入れてますよね。
〈武力と権力の王者・家康 + 豊臣のトップ・秀頼 = 無敵〉
無敵です。
今後、秀頼くんを抱っこした家康のやることは、どんなことであろうと、
”正しい”。
いかがでしょう? 家康の無双状態、思ったよりヤバくないですか。
誰もこんなミスターパーフェクトに戦いを挑もうとは思いません。でも、挑んだ武将たちがいたんです。だから『関ヶ原の戦い』が起こるんですが、あまりに無謀すぎますよね。
でも……ホントに無謀だったんでしょうか? 勝ち目はなかったんでしょうか?
次回、「立場逆転」。
どうぞお楽しみに。
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