第四章 秀吉というライバル 〜サル VS タヌキ〜
家康「あ、あ……明智光秀が、ひ、ひ……秀吉にうたれただとぉーー!!!?」
こしがぬけて、歯もぬけ落ちた家康(ウソです)。
この人の人生には、いったい何回のビックリがおとずれるんでしょう。
「明智まってろよ! ぶったおしてやるかんな!」
と、いきおいこんで尾張まで進んだ家康を待っていたのは、
「光秀、秀吉にうたれる」
のほうこくでした。
家康「まさか秀吉が………うそだろ……?」
家康の言う、この羽柴秀吉(はしばひでよし)という武将。
もしかしてみなさんが知ってるのは
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
という名前のほうかもしれませんね。
家康、信長とならぶ、戦国時代のちょう有名人。
もともと農民だったけど、信長につかえて大名にまでのぼりつめた、とんでもないサルです(ニックネームがね)。
でも、なぜ家康がここまでビックリしてるのか?
みなさん、おぼえてるでしょうか。
「毛利本隊と戦うから来てください!」
と、信長に手紙をだした家臣がいたことを。
あれ実は、秀吉のことなんです。
ということは……。
『本能寺の変』がおこったとき、秀吉は備中(岡山県)にいたってことです。
そんな遠くにいたやつが、もうスピードで京都まで帰ってきて、そのいきおいのまま明智をたおすというスーパーゴールを決めたんですから、家康がおどろくのもムリはありません。
これもし、あなたが家康だったらどう思います?
「自分こそが!」と思ってるときに、ちがうだれかに先をこされて、そいつがどんどんいい感じになっていくというじょうきょうです。
「今度のテストで一番良い点とってやる!」
「この絵でぜったい賞をもらってやる!」
「リレーのアンカーになれるよう特訓だ!」
とがんばっていたけど、それをかなえたのは自分じゃなくて、知ってるだれかさん。
くやしいし、あせったりしませんか?
もしかすると、このときの家康もそんなふうに思ってたかもしれません。
でもね、
家康は、”自分にできる目の前のことに集中した”んです。
家康「その領地もらったーーーー!!!!」
家康にできる目の前のこと……それは、「あいた領地」のかくとくです。
少し前の話になりますが……武田をたおしたあと、その領地は信長のものになっていました。
ところが、そこから3ヶ月くらいで信長が死んじゃったもんだから、きゅうにその土地があいたんです。
家康は、この領地をとりにいったんですね。
おなじようにその領地をねらった、
関東の北条氏政・氏直(うじなお)親子
や、
越後の上杉景勝(うえすぎかげかつ)
といった大名とスーパーバトルにはなりましたが、
家康「甲斐と信濃(しなの)を手にいれたぞーー!!」
なんとか新たな領地をゲット(『天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)』ていうよ)。
これで、前の領地をあわせると……三河、遠江、駿河、甲斐、信濃という、5つの国をもつ大大名にランクアップです。
まわりを気にせず、いま自分にできること、やるべきことをがんばったから、すごい結果がついてきたんですね。
だけど……
秀吉もすごいことになってます。
織田家の中で一番えらい家臣だった「柴田勝家(しばたかついえ)」っていうおじさんをたおしちゃうし(『賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)』)、
大坂城(大阪府)というとんでもなくデカいお城をつくりはじめちゃうし……。
もうそこらじゅうに
「信長のあとをついで天下をとるのは、秀吉だなー」
という空気がじゅうまんしてる感じです。
池にね、石を2つ投げたとします(ちょっと聞いて)。
すると、水面に小さな輪が2つできるでしょ。さいしょはどちらも小さな輪だったけど、やがて、わーん、と、広がって、かさなりあいますよね。
人間もそれといっしょ。
別べつの道をつき進み、別べつの場所で結果を出していても、おたがいが大きくなりすぎると、どこかでかさなるときがくるみたい。
家康と秀吉、戦います。
キッカケは、信長の次男・織田信雄(おだのぶかつ)のこんなブチギレからでした。
織田信雄「っざけんなよ、秀吉のヤロー!!!! このオレにあいさつにこいだと!!? なにさまのつもりだぁ!! テメェまだ立場は織田家の家臣だろ!! 勝手に天下ねらってんじゃねーぞ!! こうなったら、いっしょに秀吉をたおしてくれませんか、家康さん!!」
家康「わかりました。バッキバキにたたきのめしてやりましょう!」
というわけで、「家康 VS 秀吉」という、日本でトップクラスの戦国大名の対決が、げんざいの愛知県で開まくです。
この戦い、
家康・信雄軍の1万6000(諸説あり)
に対し、
秀吉軍はなんと10万(諸説あり)
という兵の数。
「家康が相手なら本気出さねーとな!」
と、秀吉が思ったのかはわかりませんが、とんでもない兵力差です。
秀吉「10万の大軍で、ハデにたたきつぶしてやる!!!」
家康「戦いは兵の数だけじゃねぇってこと教えてやるよ!!!」
しかし、この戦い、なにがすごいって、両軍がぶつかるたび勝利をかさねていったのは、
徳川軍のほうなんです。
やっぱり家康とその家臣たち、戦うのがうまいんです。戦が強いんですよ。
こうして、何倍もの大軍をものともせず、そのまま徳川軍の大勝利!
と、なればよかったんですが……
家康「なんですってえぇぇーー!! 秀吉と和ぼく(仲なおり)したぁーー!?」
織田信雄「えぇ、はいぃ。こちらのお城を次つぎと秀吉におとされましてぇ。あ、こりゃいかん……と思ってたら、あっちから『和ぼくしよう』の話が。そりゃまぁ、和ぼくしますよね」
家康「いや、『しますよね』じゃなくて……。あなたが『いっしょに秀吉をたおしてくれ!』と言ってきたから、オレたちは戦ってるんだ! 織田家をたすけるというのがコチラの戦う理由なの! 信雄さんが秀吉と仲なおりしちゃったら、オレたちにはもう戦う理由がなくなってしまう!」
信雄「いやぁ、それはそれは。へへ」
家康「……なんだそのリアクションは!!」
ということになっちまったんです(ちょくせつしゃべってないでしょうがね)。
これが
「"バトル(戦じゅつ)"は家康が勝ったけど、"ウォー(戦りゃく)"では秀吉の勝ちだった」
といわれる、スーパー大決戦
『小牧長久手の戦い(こまきながくてのたたかい)』
です。
「けっきょく勝ったのはどっちなの?」と聞かれれば、秀吉になりますかね。
秀吉が仲なおりのじょうけんとして信雄に出したのは
「領地や人質ちょーだいね。そしたら和ぼくしてあげるよ」
という上からのもの。
これは、かつてのご主人さまである織田家をしたがわせたということになりますから、大きく見れば秀吉の勝ちとなります。
とにもかくにも、もったくもってスッキリしない家康だったのでした。
いっぽう、勝利を手にした秀吉。
ですが、それでもまだ家康をこうげきするんです。
ただ、そのせめ方は、すこーし変わったものでした……。
つづく。
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