第四章 秀吉というライバル 〜家康をおそう変と危機〜
・信玄、勝頼と、親子二代にわたって苦しめられた家康。ついにはその武田をたおすこともかなったが、つまと子どもを失うという悲しみが待ちうけていた。それでも、信長との同盟は続いていく——。
武田をたおした家康と信長は、かなりのニコニコ。
長年の敵がやっといなくなったんだから、上キゲンも上キゲンです。
信長「ホント今回はおつかれね。家康くんのおかげもあって、やっと武田をたおせたよ。というわけで、駿河国あげるね」
家康「やったーー!!」
駿河国をもらった家康は、お礼を言うために、信長のお城・安土城(あづちじょう。滋賀県)をたずねます。
家康「ホントにありがとうございました!」
信長「いいよいいよ。だってがんばってくれたもーん!」
ゲームでいえば、とちゅうのラスボスをたおしたようなもの。
2人がパーティーモードにとつにゅうしてもしょうがありません。
三河と遠江にくわえて、駿河をもらった家康。
これで3つの国の大名です。
すごくいい感じ。
信長にかんしては、だれがどうみても日本の中で一番力のある大名になりました。
武田をたおした今、東日本で大きな敵は上杉だけ。
すごくすごくいい感じ。
いい感じ、いい感じ。
同盟をつづけて20年、ぼくらは日本一のチームになった。
もう、だれが相手でも負ける気がしない。
ぼくらのコンビはえいえんだ!
家康の三大危機、やってきます。
ピンチというのはわすれたころに、しかも、うかれているとやってくるのかもしれません。
いよいよ三大危機のラスト。
今度のやつは、えげつないおどろきをくらったあと、すぐに命のきけんにさらされるという、最高の大ピンチです。
2つめが一番ヤバイと言いましたが、やっぱりラストが一番ヤバイかも……。
"えげつないおどろき"と"命のきけん"は、こんな感じでやってきました。
信長「とにかく楽しんでかえってね。ここにいるあいだのおせわは、この明智光秀がやってくれるから」
明智光秀「よろしくお願いいたします」
信長からのおもてなしをうける家康。
織田家のメチャクチャゆうしゅうな家臣、明智光秀が家康のおせわをしてくれたり、信長みずからが食事を運んでくれたり、これぞまさにいたれりつくせりといった感じ。
でも、そこに一通のお手紙がとどいて、かんげいムードの風向きが少しだけかわるんです。
信長「(手紙読む)……なるほど。ついに毛利(もうり)が動いた。これは天があたえたチャンスだ! このオレみずからが出陣して、中国地方の大名をすべてうちはたし、そのいきおいで九州も統一してやる!」
手紙は、備中(びっちゅう。岡山県)をせめている家臣からとどいたものでした。
毛利というのは、中国地方のほとんどをおさめる西のラスボス。
手紙の内ようは、
「毛利の家臣がこもる備中高松城(びっちゅうかたまつじょう)をこうげきしてたら、毛利本隊が出てきたんです! これは、信長さまのたすけが必要です!」
というものだったんです。
信長「光秀! 家康くんのおせわ係はちがう者にまかせる。おまえはすぐさま備中にむかえ! オレもすぐ後を追う!」
光秀「はっ!」
信長「家康くん!」
家康「はい!」
信長「家康くんはせっかく近畿に来たんだから、もっとのんびりしていきなさい! 京都や堺(大阪府)を見物していったらどうだ!」
家康「命令のながれで、観光をすすめられた!」
お手紙がとどいてから、2週間後——。
家康たちは、信長のすすめ通り、堺見物にでかけていました。
「堺って本当にステキー」「もうちょっとだけいたいよねー」
みたいな会話をかわし、気分は完全にしゅう学旅行(しゅう学旅行とかないけど)。
そんな楽しい堺見物も今日が最後です。
中国地方へむかうとちゅうの信長が、京都まで来たっていうもんだから、そこへごあいさつに行くんです。
《このあと、家康の人生の中で、最大のおどろきとしょうげきがやってくるとも知らずに》
徳川家臣・本多忠勝は、信長への使者として、一足先に京都へむかっていました。
すると、京都の方がくから、家康と親しい茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)という商人がやってくるんです。
とんでもなく息を切らしながら。
本多忠勝「どした茶屋四郎次郎? そんなにあわてて」
茶屋四郎次郎「ハァッ…ハァッ…(京都の方向を指さして)……ハァッ…ハァッ……」
忠勝「『本多さんは京都へ行かれるんですよね。おむかえにあがりました』、か。いやーありがとう。でも、わざわざ…」
茶屋「(ブルン! ブルン! ブルン!)」
忠勝「え? ちがうの? じゃなんだよ!?」
息をととのえ、京都でおこったことを忠勝に伝える茶屋。
忠勝「な……なんだと!!! それは本当か!!!!」
《家康、最大のしょうげきを知るまで、あと少し》
すでに堺を出発した家康たちは、京都へむけてすすんでいます。
そこへ……
パカラッ! パカラッ! パカラッ! パカラッ……!!
《最大のしょうげきを知るまで、あと数十メートル》
家康「あれは……忠勝…だな。先に京都へむかったはずなのに、なぜもどってくる?」
忠勝「殿ぉぉぉーーーーーーー!!!!!」
《最大のしょうげきまで、数秒前》
忠勝「殿ぉ!! 一大事にございます!!!」
3……。
家康「どうした?」
2…。
忠勝「信長さまが!!!」
1。
忠勝「信長さまが京都の本能寺にて、明智光秀にうたれました!!!!」
《しょうげき、発動》
家康「な……な………」
家康たち「なにぃぃぃぃーーーーーーーー!!!!!!」
1回たましいぬけちゃったけど、ムリヤリもどしてギリセーフ。というくらいのおどろき。
信長さまがうたれた……。あの明智光秀に……!!?
少数のおともをつれて京都の本能寺というお寺にとまっていた信長。
そこへ、中国地方にいくはずだった1万以上の明智軍がおそいかかったんです。
なぜ光秀が信長をうらぎったのかは……いろいろな説があるけど、本当の理由はいまだにナゾのまま。
これが、日本全国の武将に最大のおどろきをプレゼントした、
『本能寺の変(ほんのうじのへん)』
とよばれるものです。
もしですよ。
もし、あなたの友だちが、だれかにきずつけられたとします。
そのときあなたは、どんな行動をとりますか?
家康はね、こんなことを言ったんです。
家康「戦おう!! 近くにいる丹羽長秀(にわながひで。信長の家臣)と手を組んで、明智をたおすんだ!」
と。そして、
忠勝「その気持ちはすっごくわかります! でもこんな人数じゃムリです!! まずは国へ帰って、明智をたおすじゅんびをしましょう!」
ソッコーで反対されます。
でもこれは忠勝が正しい。
シンプルに遊びにきてる家康たちですから、戦とうのじゅんびなんてしてませんし、人数も30数人とちょう少ない。
旅行のついでにたおせるほど、明智は弱くありません。
なので、家康たちはいったん、こきょう三河国へ帰ることに。
しかし……。
ここからです。ここからが、三大危機第3だんの本番なんです。
『本能寺の変』がおこったのは京都。家康たちがいるのは今でいう大阪府。
ということは……
”信長のおともだち・家康”をねらう明智軍が、メーチャクチャすぐそこにいるんですね。
テレビなんかで、ケイサツの人が「けんもん」ってやってるのを見たことあります?
「おい! はんにんがにげたぞ! このへんの道をふさげ!!」
って言って、道という道におまわりさんがあふれかえり、そこを通る人ぜんいんをチェックする、あれです。
このときの家康たちは、まさにそれ。
たぶん、どんな道を進んでも、
「いたぞ! 家康だー!」
と明智軍につかまるのは目に見えてます。
"ふつうの道"を通れば、一発アウト。
それならば……
忠勝「京都から甲賀(こうが。滋賀県)伊賀(いが。三重県)の山をこえ……」
酒井忠次「そこから伊勢(いせ。三重県)に出て船で海をわたり、三河へと帰るんです!」
だれも選ばない道……
家康「よし……。山ぁぁこえるぞぉぉ!!!」
"ふつうじゃない道"を通ればいいんです。
でもね、人が通らないような山をこえるんですから、そりゃあキケンでしんどい。
しかも、山を通れば明智のおってはやってこない……とはいいきれません。
さらに、甲賀や伊賀の武士たちが「だれのきょかを得てココを通ってんだ、ああん!?」とケンカをふっかけてくるかのうせいもあります。
さらに×2、戦いに負けてにげる武士から、よろいや刀をうばって金にかえる、"落ち武者狩り(おちむしゃがり)"というものまであったもんだから、命がいくつあっても足りないパターン。
これをぜったいぜつめいと言わず、なにをぜったいぜつめいと言うんだという、大ピンチとうらいです。
しかし、家康にとってラッキーだったのは、このときいっしょにいた家臣たちが
「徳川オールスター」
といってもいいくらいの顔ぶれだったこと。
服部半蔵「オレね、せんぞが伊賀しゅっしんなのよ」
伊賀の武士「あ、マジで!?」
服部半蔵「どうだろう。ここを通る間オレたちのことをまもってくれないだろうか?」
茶屋四郎次郎「タダで、とはいいません(お金をわたす)」
伊賀の武士「あ、えぇ!? いいの? まもるまもる!」
せんぞが伊賀出身の服部半蔵と商人の茶屋が、伊賀や甲賀の武将を味方につけ、
落ち武者狩り1号「へっへっへ、ここを通りたければよろいや刀を…」
井伊直政「どけコラァ!!!!!!!!」
落ち武者狩り1号「………おいて…いけっ…て、言ってたよなぁおまえ?」
落ち武者狩り2号「え、オレ!!?」
榊原康政「あ? やんのかコラ」
落ち武者狩り2号「いえいえいえいえいえいえいえ!!! 通ってくらしゃい!」
徳川四天王や石川数正たちが、家康をしっかりとガードします。
その後も、けわしい山をこえていく家康たち。
家康「ぐ……く………うぐぅぅぅ……」
岩をつかみ、よじのぼるその様子は、今自分たちがおかれているじょうきょうそのもの。
家康「ぐ………ぬぅあぁぁぁーーーー!!!!」
しかし、なんどもなんどもどん底をけいけんしてきた三河武士たちは、なんどもなんどもそこからはい上がってきたんです。
体は土にまみれ、着てるものもボロボロになった家康たち。
かれらをまっていたのは
家康「ここを……こえ…れば…………クハァッ!! ハァッ…ハァッ……ハ………おい……」
忠勝「ハァッ…ハァッ………はい……」
直政「ハァッ………(ゴクッ)う、う、」
康政「うみ………だ……」
忠次「海だ………」
家康「海だぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!!!!!!」
どこまでも青く光る、伊勢の海でした。
そこから船で海をわたった家康たちは、ぶじに三河にとう着。
これが、チーム徳川の底力をばくはつさせて乗りきった、三大危機の最後
『伊賀越え(いがごえ)』
といわれる出来事でした。
三河に帰ればこっちのもん。
さぁ、ここから、打倒・明智光秀です!
つづく。
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