第三章 最大の友・信長、最強の敵・武田 〜家康のトラウマ in 三方ヶ原〜
とりあえず家康からぶっつぶすため、2万5000いじょうの大軍でせめこんでいく信玄。
戦国最強の実力はハンパなく、遠江のお城をつぎつぎとおとしていくんです。
家康はこのころ、遠江に「浜松城(はままつじょう)」というお城をつくり、岡崎城から浜松城にうつっていました。
武田軍の強さをすぐそこにかんじた家康は、思ったかもしれません。
「ヤベーやつてきにまわしちゃったかも……」
と。
そしてついに、武田軍は家康たちのいる浜松城にせまります。
ヤバイ!
お城にこもってガッチリガードだ。
今回はディフェンスに力をいれて、どうにか信玄のこうげきにたえなけれ………きた! 武田軍がついにせめてきた!!
と、思いきや……
浜松城を通りすぎる信玄たち。
なんと、その先にある「三方ヶ原(みかたがはら)」という台地をめざしてすすむんです。
え? こねーの……?
家康は「なーんだよかった! これで戦わずにすむじゃん!」とホッとしたのでした……ってことにはなりません。
わきあがってきたのは、別のかんじょうです。
家康「目の前にいるオレをムシするだと……。なめてんじゃねー!!」
武士が、命より大切にしているのは"プライド"です。
人からバカにされたり、下に見られることをぜったいにゆるしません。
信玄に相手にされてないことがわかった家康はいかりくるい、
家康「すぐに出陣だ!! 武田信玄をたおす!!」
すぐさま浜松城をとびだしていったのでした。
(このとき、家康が信玄に戦いをいどんだ理由には……信玄が通りすぎるのをだまってみてたら「えー、殿戦わないんだ……」と家臣たちから見そこなわれちゃうから、とか……信長が「家康に信玄と戦ってもらって、くいとめてほしいなぁ……」と思ってるだろうから戦った、などなど。いろいろな説があります。)
お城を出て信玄を追いかける徳川軍は、信長からのえん軍を合わせても1万1000。
武田軍の半分にもみたない軍ぜいでしたが、家康には作戦がありました。
家康「三方ヶ原台地の先には下り坂がある。武田軍がその坂を下りはじめたところを上からせめて、一気にたたく!」
人数でまける徳川軍ですが、これなら勝てるかもしれません。
家康「全軍につぐ! そろそろ信玄たちが、坂を下りはじめるころだ! われらも三方ヶ原に入るぞ!!」
信玄を追うように、三方ヶ原台地にのぼる家康。しかしそこには……
家康「な……! そ、そんなまさか……」
武田軍が、ドーーーーーーン!!
いるはずのない信玄たちが、隊形をととのえてまちかまえていたんです。
家康「え……もしかして…………ワナ?」
信玄「うん、ワナ。かかれーーーーーー!!!!」
武田軍「オオオォォォーーーーーーー!!!!」
家康「ま、まずいーーーーーーー!!!!」
とってもキレイなワナでした。
ムシされた家康は、必ず追いかけてくる。それをじゅんびばんたんでまちかまえ、てってい的にたたく——。
すべては信玄の作戦通りだったんです。
武田軍「オオォリャアアアーーーー!!!!」
徳川軍「グゥワァァァーーーーー!!!!」
じゅんびのととのった武田軍と、ふいうちをくらった徳川軍。どちらが有利なのかは、だれの目にも明らか。
徳川軍は、戦国最強とも言われる武田騎馬隊を前に、バタバタとたおれていくんです。
やがて、
家康「こうなれば……さいごまで戦いぬき、はなばなしくうち死にしてくれる!!!」
家康は、死ぬことをかくごします。
しかし。
家康家臣「殿をお守りしろぉーー!!! なんとしても城までお連れするんだ!!!!」
家康「な、なにを言う!! わしもお前たちとここ…」
家康家臣「なりませぬ!!!!」
家臣たちがそれをゆるしません。
命をかけて家康を守り、浜松城へにがそうとするんです。
一向一揆のとき、一向宗についた夏目吉信(なつめよしのぶ)は、家康のかぶとと馬をうばうと、敵の中へとびこんでいき、
夏目吉信「われこそは徳川家康! 武田のものども、わたしがお相手いたそう!!」
家康のふりをし、みがわりとなりこの場でちっていきました。
何人もの家臣が家康をにがすため、家康のみがわりとなり、家康のために死んでいくんです。
家康「ぅ……く………ああああぁぁーーーーーーーー!!!!!!」
こうした命がけの家臣のおかげで、なんとか浜松城にたどり着いた家康。
家康「まだもどってくるものがいる! 城門(じょうもん)はあけておけ! そして、かがり火をたくんだ!」
家康は、にげ帰ってくるもののために、城の門をあけておくよう命令します。
しかし、それでは追いかけくる武田軍も城へ入れることに……。
ところが。
武田家臣「見ろ! あそこに見えるのが浜松城だ! このまま城ごとたたきつぶしてやる!!」
武田家臣「いや、まて! 城門があけっぱなしになっている……」
武田家臣「本当だ……。なにかのワナかもしれん」
武田家臣「うむ。このまま城に入るのはキケンだ。せめるのはやめておこう」
門をあけていることをワナとかんちがいした武田軍は、浜松城をせめるのをやめてしまったのでした。
家康たち徳川軍は、ギリギリのところで命びろいをします。
ですが、戦いは徳川の完全なる負け。
甲斐のトラ・武田信玄の大勝利におわったのでした。
これが、家康が死んでいてもおかしくなかった三大危機の1つ、
『三方ヶ原の戦い』
です。
(この『三方ヶ原の戦い』には、「それホントに!?」というお話がいーっぱいあるんですね。たとえば……。
武田軍から逃げる家康は、あまりのおそろしさにもらします。ウンチを。馬に乗ったまま。
なんとかお城には逃げこむことができたけど、もちろんウンチはもらしっぱなし。しかも、それを家臣にきづかれるんですが……
家臣「いやー武田軍こわかったぁー! ん? ……なんかくさい。(クンクン)あ! 殿! ウンチもらしてる! ひくわー!」
家康「ちがう! これはミソだ!」
と、いいわけしたそうです。
おしりにあるミソのようなウンチは、もうウンチです。
またほかにも……。
逃げてるとちゅうにおなかがへった家康は、お茶屋さんによってあずきもちを食べます。
で、あたりまえだけど武田軍追いつく。あわてた家康は、お金をはらわず馬に乗って逃げてしまいます。
グイグイせまる武田軍。しかし、それよりも早く家康においついたのは、
おばあちゃんでした。
食い逃げをした家康をつかまえるために、お茶屋さんのおばあちゃんが走っておいついたんです。馬に乗った家康に。おばあちゃんが走りで。
50メートル走、何びょうだったんでしょう?
家康が大負けしたせいか、三方ヶ原の戦いには、「たぶんウソだろ」という話がいっぱいのこってしまったのでした。)
つづく。
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