遊び心
「松枯れて 竹類いなき 明日かな」
「ふざけんなコラァァァーーー!!!!」
一句送られてきてブチギレる。
現代じゃなかなかないけど、メール、LINEで腹の立つ文章が送られてくるのと同じようなもんです。
いや、文字数制限のかかったSNSで不快なコメントが飛んでくることを考えれば、事態は全く一緒なのかも。
上記の歌ですがね。これ、むーちゃくちゃディスってるんですよ、相手のことを。
送ったのは武田さん。
受け取ったのは徳川さん。
武田信玄から徳川家康へと送られた、と思っていただければ大体あってます。
その昔、信玄と家康が大激突した戦いがありましてね。
後に全国制覇を成し遂げる家康ですけど、この戦いでは、そりゃもうギッタンギッタンに負けるんです。家康あとちょっとで死ぬところだったというくらいボロッボロに(三方ヶ原の戦い)。
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で、この戦いってのは年末に行われたんですが、そこから数日が経ち、意気消沈したままお正月を迎えた徳川家に、信玄からダメ押しのプレゼントが届くんですね。
それが冒頭の
「松枯れて 竹類いなき 明日かな」
です。
でも一体、この歌のどこがディスりなのか?
もう少し現代っぽく訳してみると、
「松は枯れて、類いなき竹には明日がやってくる」
となるんだけど、まだちょっとピンときませんよね。
これね…
"松"ってのは、"松平"のことなんです。
家康さん、実は「徳川」になったのって途中からで、元々の名字は「松平」なんですね。
んで、
"竹"というのは、"武田"を意味しております。
なのでこの歌の本当の意味は…
「松平(徳川)は滅び、オンリーワンな強さの武田が繁栄する! イェーーイ!」
イェーイは言ってねぇけど。ま、こんなような意味になるんですね。
戦いでボッコボコにした上に、間髪入れずに精神的ダメージを与えようとするんですから、信玄&武田家の常勝軍団っぷりはハンパありません。
一方、送られた側の徳川の屈辱も、これまたハンパないわけですよ。
「え、なに? 信玄から歌!? 『松枯れて……』……ふ、ふざけてんじゃねぇぞコラァァァーーー!!!!!」
一家総出でブチギレ祭り。
悔しくて、悔しくて。この前負けたと思ったら今度はこれかい。
この煮えたぎる怒りは、どこにぶつけりゃいいんだ、
と思ってたところへね。
「どれどれ。ふむ…」
家康の家臣・酒井忠次さんて人の登場。
徳川家には、「徳川四天王」という、中二病の性感帯を優しくなでるネーミングの家来がいまして。その筆頭が、この酒井忠次さん。
武田から送られてきた歌を見た忠次さんは、
「ふむ。ここをこうして…」
ほんのちょっとだけ、"濁点"の位置をイジったり足したりして…
「まつかれて たけたぐひなき あしたかな」
を
「まつかれで たけだくびなき あしたかな」
に変換。
「え、これって……」
漢字に直すと、
「松枯れで 武田首なき 明日かな」
つまりは
「松平(徳川)は滅びず、武田の首はなくなる。次に勝つのは……オレたちだ! ッシャオラァァー!!」
ッシャオラァァーは言ってないんですけど。
少しの機転で、まったく違う意味の歌へと変化させたのでした。
「おおおおぉぉぉぉーーー!!!!!」
これには徳川家全員から大歓声が上がり、拍手喝采。からの強めのハグ。
凹んで怒って、どうしようもないみんなのストレスを一発で発散させた、
という逸話です。
他人から向けられる思わぬ攻撃にも、切り返しの余地は潜んでます。
そして、それを可能にするのは案外、ちょっとした遊び心だったりするのかもしれません。
ちなみに。
「最高! 忠次最高よ! 次に勝つのはオレたちだ! よっしゃああぁぁぁーー!!!」
と、そのままの勢いだったのか、まだ怒りがおさまってなかったのかは分かりませんが、
家康は、近くにあった竹を「武田」に見立て、
シュバッ!!
と、刀で斜めに削ぎ落とし、その竹を飾ったそうです。
現在、お正月には門松を飾りますでしょ。そして、門松には竹があって、その竹は斜めに切られてますでしょ?
実はあれ、このとき家康が竹を斜めに切って飾ったことから出来た習わしなのでした。
と、言いたいところですが、
諸説あるので、ホントかウソかわかりません。
では。