川中島の戦い
※コンパクトパターンです。
「戦国の戦と言えば!」ってのがこの戦い。
甲斐国(山梨県)の大名・武田信玄と、越後国(新潟県)の大名・上杉謙信が、川中島を含む善光寺平(長野盆地)をバトルフィールドに争ったのが『川中島の戦い』です。
かなり有名な『川中島の戦い』…なんだけど、「この戦いで日本の歴史が変わった!」とかってわけじゃない、言ってみりゃローカルバトルの一つ。
それでも抜群の知名度を誇る理由というのが……
江戸時代、武士の間でとにかく尊敬されてたのが、初代将軍・家康さん。
でも、神(東照大権現)と崇められた家康をボッコボコにした大名が1人だけ存在します。
そりゃ誰だ。武田信玄だ。神を倒したなんて強すぎる…。
おい、武田の戦略や戦術を書いた「甲陽軍鑑」って本があるぞ。これで学ぼう。
てか、この中に出てくる『川中島の戦い』エモすぎんだろ。信玄もヤベーけど、軍神・上杉謙信もハンパねーな…。
という感じで、川中島さんの知名度が高まっていったのでした(ざっくり言えばね)。
武士の憧れ『川中島の戦い』は、信玄が北信濃(長野県北部)に攻め込むと、越後から謙信が出てきちゃってスタートします。
そこから10年以上、5回の戦闘を繰り広げた信玄と謙信(回数は諸説あり)。
5分の4がニラみあいか小競り合いで終わったものだけど、唯一激戦となったのが『第四次川中島の戦い』です。
(川中島の戦いの時は、信玄=武田晴信、謙信=長尾景虎→上杉政虎→上杉輝虎、という名前でしたが、わかりにくいから信玄と謙信でいきます)
このとき、妻女山という山に布陣した謙信。それに対し、信玄の軍師・山本勘助は、
「隊を2つに分け、別働隊に妻女山を攻撃させて、山を下りてきた上杉軍を武田本隊が待ち伏せしましょう。で、別働隊とはさみ撃ちにするんです」
という「啄木鳥戦法(きつつきせんぽう)」を編み出します。
この作戦が採用され、別働隊は深夜のうちに移動。早朝になり、妻女山への攻撃を開始…したのですが、そこに"いるはずの"上杉軍がどこにもいません……。
一方、上杉軍を待ち伏せするため、八幡原に布陣した信玄たち本隊。
川中島を覆った朝の深い霧が晴れる…と、目の前には"いるはずのない"上杉軍が!
信玄「え!!!」
武田軍の動きを察知した謙信は、音を立てず夜中のうちに下山。信玄のいる八幡原に、同じく布陣したのでした。
謙信「かかれぇーー!!!」
度肝を抜かれた信玄たちは、上杉軍の猛攻でメッタメタに。
信玄の弟・武田信繁や軍師・山本勘助など、優秀な家臣たちが次々と亡くなっていく、そんな大乱戦の中……
白手拭いで頭を包んだ騎馬武者が、信玄のいる本陣へと斬り込んできたのです。
ガッ!!! ゴッ!!! ガキッ!!!!
馬上から放たれる三度の太刀を軍配で受け止める信玄。
あとで聞くと、その騎馬武者こそが謙信だったそうです。
やがて、武田の別働隊が到着すると、形勢が逆転。上杉軍は越後に引き返していったのでした。
あまりに激しい『第四次川中島の戦い』は、戦国史上最も多くの死傷者を出したと言われています。
と、いう具合に、映画や小説でも描かれてますが、ほぼ伝説です。
「啄木鳥戦法」や謙信の行動には不可能&おかしな点だらけだし、「信玄 VS 謙信の一騎討ち」も「死者数」も確かな証拠は何一つありません。
現状、この戦いの具体的な内容は謎なんです。
ただ、戦の天才と天才が、北信濃を舞台に駆け引きを繰り返したというのは紛れもない事実。
そんな戦国のロマンがどっぷりと詰め込まれた戦い、それが『川中島の戦い』です。
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