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感動を伝える
あらゆる創作物。
書かれるモノ。描かれるモノ。奏でられるモノ。写されるモノ。
などの全ての素は、「感動」であると考える。
まずは、作家本人が感動する。
そして、その感動を、他者に伝えるために、
時に書き、描き、奏で、写す。
創作の目的が、「他者に感動を伝える」ことであり、
さらにその他者が、
「多くの他者」であることを望む場合、
「売れる作品が良い作品」という評価は、
理にかなっているものように思われる。
「解る人には解る」という作品では、
より多くの他者に「感動を伝える」という目的が
達せられないからだ。
創作物は、「より多くの他者に伝えるために」、
磨かれ、時には伝える手段を増やされる。
いわゆるメディアミックスも行われる。
今から半世紀近い昔。
「クモがミノを作って村の虫を救う」という「物語」が、
ある夜、ぼくに降ってきた。
その物語に感動したぼくは、友人たちに話して聞かせる。
その中に、若き日の金井雄資がいた。
金井雄資は感動して、ぼくに「形にすること」を勧めた。
ぼくの感動が伝わったことに感動したぼくは、
「神様になったクモ」という物語を書き、
アルバイトしてお金を作って自主出版した。
※当時は「絵も描ける能楽師」であった金井雄資は
表紙絵を描いて応援してくれた。
こうして、「神様になったクモ」は、当初、百部。後に千部作られた。
※今から半世紀近く前の出版費用の百万円は、
アルバイトの掛け持ちで稼ぎ出したが、辛かった記憶は一切ない。
※千百部あった本は売ったり、プレゼントしたりで人の手に。
その後の転居などの結果、今や手元には一冊しかない。
その一冊も、亡父に献本した亡父の遺産である。
こうしてできた「神様になったクモ」は、
その後、沢山の「大切な人」に出会わせてくれた。
彼らはぼくの「感動」を受け入れて、
ぼくを「大切な人」にしてくれた。
先日
「子ども頃『神様になったクモ』を読んで、
物語が好きな大人になった」
というような人が現れた。
しかも、このnoteの世界で。
親の本棚にあったこの本に出会ったという、
ぼくが見ず知らずの子どもさえにも、
ぼくの感動は伝わったことになる。
ぼくはとても感動した。
ぼくはがんで死ぬ覚悟はできてはいる。
ところが、がんならばじっくりとやってくる死が、
心筋梗塞で突然にやって来た。
生還したぼくは、改めて「あの感動を伝えたい」と思った。
それは、残された時間をかけるのに値することだとも思った。
折しも稲垣麻由美から、
「飯島晶子さんが『神様になったクモ』を朗読を希望している」
という相談があった。
なるほど、「文字を読む」以外の伝え方があったか。
ぼくは、「感動を伝える手段が他にもある」ということに感動した。
さて、朗読するには長すぎるので書き直す必要がある。
メンターコーチ吉澤由紀の協力のもと書き直すうちに、
「物語の新しい結末」を思いつく。
それは、「降りてきた物語」が「ぼくの創作物」になった瞬間
なのかもしれない。
こうして出来上がったのが「春のカミサマ」だ。
「春のカミサマ」を「多くの他者に伝える」ために、
まず、絵をつけて絵本にすることを考えた。
内容的に子ども向けとは思えないが、
子どもにも伝わることは実証済みだし、
より多くの人に伝るために、絵を加えるのは良い手だと思う。
その絵本を、
紙で出版するよりも、動画としてネットの海に放つことを選ぶ。
「より多くの他者に伝える」ことを目的とした判断だった。
さらには、「朗読」して音声でも伝えることも。
こうして、
能楽師金井雄資朗読「春のカミサマ」や、
朗読家飯島晶子の「春のカミサマ」
が出来上がった。
すると、これらの「春のカミサマ」を視聴して
「自分も読みたい」という人が現れた。
まず、「中・高・大学と演劇部だった心理士」による
風薫版の「春のカミサマ」
が出来上がった。
そして、今回、山田容子版「春のカミサマ」が出来た。
ぼくの過去の仕事で知り合った研修講師である山田容子は、
朗読だの演劇だの経験はない。
ただ、「感動した結果、私も読んでみたいと思った」と。
ぼくの感動は、思いもかけない形で伝わったことになった。
そして、
彼女の感動が、また、他の誰かに伝わることが
今から始まる
春のカミサマ
作 千賀泰幸
朗読 山田容子
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