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さようならの魔法使い

 あるところで女の子が生まれました。
 女の子のお父様は王様で、
 お母さまはお妃様だったので
 女の子はお姫様でした。

 女の子は色がぬけるように白く、
 きれいな瞳をした可愛い子でした。
 王様もお妃様も長い間待っていた
 初めての子供だけに、大層喜びました、
 女の子は、王様とお妃様に、
 それはそれは大切にされて
 すくすくと育ちました。 
 内気でおとなしい子だったので、
 王様もお妃様も女の子を
 お人形のように可愛がりました。

  お城の中の一番奥の部屋が
 女の子の部屋でした。
 その部屋からは、
 お月様が一番きれいに見えましたし、
 お城の回りの森も、
 海のように見えるのでした。
 女の子は、
 やがて絵本が見れるようになりました。
 王様は、
 世界中からありとあらゆる絵本を
 女の子のために集めました。
 沢山の本の中に、
 海を描いた絵本がありました。
 まるで宝石箱のように
 海が広がっていました。
 お城で生まれ育った女の子は
 海を見たことがありません。
 だから女の子はその絵本に
 夢中になりました。
 ある日、
 お妃様におはようございますの
 ごあいさつをした後、
 女の子はお妃様の手を握って
 お願いをはじめました。
「お母さま、私、海が見たいの」
 お妃様はやさしくたずねます。
「ご本で見たの?」
 女の子はお妃様に、
 海が広くて大きくて
 美しいことを説明します。
 お妃様は
 おどろいたり笑ったりしながら、
 女の子が
 小さな手をいっぱいに広げて話す
 海のお話をきいてくれました。
「ね。だからね、私は海がみたいの」
 お妃様はそういう女の子の頭を
 やさしく撫でて、
 女の子を抱きしめながらいいました。
「いつか、
 いつかあなたがもっと
 ずっと大きくなったら、
 王子様があなたをおむかえに来るの」

 お妃様は抱きしめた女の子を放して、
 女の子の顔をみていいました。
「お母さまもそうだったの。だからね」
 また、お妃様は女の子を抱きしめます。
「それまでは、
 ここに、このお城に
 いてくださいな

 お妃様はそう言って、
 女の子を抱きしめました。
 女の子は、
 とてもがっかりしてしまいました。
 早く王子様が来ればいいのに、
 と思いました。
 そうすれば海が見られるのです。
 
 その夜、
 おやすみなさいのごあいさつの後も、
 女の子は眠らずにいました。
 新しい絵本を
 王様からいただいたのです。
 その本には、
 お姫様のために勇敢に戦う
 王子様のことが描かれていました。

 お城をつつむ森が
 いつもよりも明るく見える、
 月のきれいな夜でした。
 女の子は絵本を見ながら、
 いつのまにか眠ってしまっていました。
 微かな風に女の子がふと目をさますと、
 ベッドのそばに、
 黒いマントを着た男の人が
 立っていました。
 女の子は、びっくりしました。
 けれども、
 まだ目がはっきり覚めてないからか、
 あまり怖くありませんでした。
 それにその男の人のことを
 どこかで見たことがあるような
 気がしましたから。
「こんばんは」
「こんばんは」

 女の子は、男の人に
 上手にごあいさつができました。
 それで勇気が出た女の子は
 たずねました。
「あなたは、だあれ?」
「ぼく?ぼくは魔法使いさ」

 女の子は、またびっくりしました。
 魔法使いは悪い人だ
 と絵本には描かれていたからです。
「そりゃ、悪い魔法使いもいるさ。
 ぼくみたいに良い魔法使い
 もいるんだからね。
 魔法使いが良いか悪いかじゃない。
 その人が良い人か悪い人か。
 そこが大切なことなんだ」

 魔法使いは、にっこり笑いました。
「どうして、ここにきたの?」
 女の子は用心深くたずねました。
 絵本でも狼なども
 最初はにこにこしています。
 それで安心させておいて
 ガブリとくるのです。
「海を見せに来た」
「え?」
「きみが海を見たいっていうんでね」
「どうして?」

 女の子は不思議でなりません。
「どうしてそれを知っているの?」
「知っているよ。
 魔法使いというのは、
 そういうものなのさ」

「ふうん」
  女の子は感心しました。
 まだ小さい女の子は
 知らないことばかりです。
「海が見たいかい?」
「はい!」

 女の子は良いお返事をしました。
 女の子はもうどきどきしています。
 魔法使いは女の子の頭を
 そっと撫でます。
「目をとじてごらん」
 女の子が目を閉じると、まぶたの裏に、
 絵本で見た海が広がりました。
 そして、
 それがどんどん遠くに
 消えていきました。
 真っ白な世界に女の子は一人でいます。
 ふと、水の音がしました。
 そう思ったら、いつしか波の音、
 潮騒が近づいてきました。
 女の子は風を感じました。
 塩気を含んだ風を感じていると、
 真っ白な世界のはるか彼方に
 海が見えました。
 海はだんだん近づいてきます。
 やがて、女の子の目の前に、
 海が広がりました。
 打ち寄せる波は、
 白い泡をあつめては消えてゆきます。
 海の向こうには一本の線があります。
 海と空とをへだてる線があります。
「あれは、水平線」
 女の子の頭の中で声が聞こえました。
「絵本とは違う」
 女の子は思いました。
「これが海だよ」
  魔法使いのささやきに、
 女の子は目を開きました。
 海は消えました。
「もっと見せて」
「また今度ね」
「いつ?」
「今度さ。また会えたら、また会える。
 会えなきゃ二度ともう会えない」

  魔法使いはそういうと、
 開いている窓から
 月の方に歩いて行きました。
  女の子は、
 魔法使いを窓から見送りました。
 魔法使いは、
 一度も振り返りませんでした。
 魔法使いとは、そういうものなのです。

  魔法使いが
 月の光の中に見えなくなって、
 女の子は、
 まだどきどきしながら
 ベッドに入りました。
 そして
 すぐにすやすやと眠ってしまいました。
 女の子はまだ小さくて、
 夜はとてもおそかったのでした。
 
 その夜女の子は海の夢をみました。
 絵本の海ではなく、
 魔法使いが見せてくれた海の夢でした。
 なぜかその海には、
 あの魔法使いが
 微笑みながらたたずんでいました。

 次の朝、女の子が目をさますと、
 窓は全て閉じられていました。
 頑丈な鉄格子さえあります。
 昨夜のことは、全部、
 夢だったのかなと思いました。
 それで、女の子は魔法使いのことを
 王様にもお妃様にもないしょ
 にすること にしました。
 
 その夜も、
 魔法使いはやって来ました。
 しかも、
 魔法使いの姿や声は、
 王様にもお妃様にも、
 見えない、
 聞こえないのです。  
 女の子はびっくりしました。
 女の子以外の人間には、
 魔法使いは見えない、
 聞こえないのです。
 女の子だけが、
 魔法使いが見えて、
 魔法使いとお話ができるのです。
 女の子はとまどいましたが、
 王様やお妃様、
 つまり、
 お父さまお母さまを
 心配させないように
 魔法使いのことは黙っていることに
 しました。

  魔法使いは、
 雨の夜や風の夜に
 女の子のところにやって来ました。
 魔法使いは、
 女の子にいろいろなものを見せてくれました。
 高い山、広い川、さまざまな草花や木々。
 魔法使いは
 女の子の絵本の絵の中の世界に
 連れて行ってくれました。  
 そこには沢山の精霊たちがいました。
 ずいぶん前に
 この世を去った死者たちもいました。
 女の子は、
 亡くなったお祖父様やお祖母様
 に会えました。
 そして御先祖様にも会えました。
  魔法使いが見せてくれる夢の中で、
 女の子はとても幸せでした。
 女の子は時々、
 魔法使いが絵本の中の王子様のように
 思える時がありました。
 けれどもそれは女の子の思い違いで、
 魔法使いはやっぱり魔法使いなのです

 女の子はすくすくと育っていきました。
 魔法使いは変わりはありません。
 女の子と魔法使いでは
 時間の流れが違うのです。
 魔法使いとはそういうものなのです。

 ある夜、魔法使いが姿を現すと、
 女の子がたずねました。
「どうして私のところに来てくれるの?」
 魔法使いは
 おどろいたような顔をしました。
 魔法使いがそんな顔をしたのを、
 女の子は初めて見ました。
「きみが望むからさ」
「私は望むから?
 私が来てほしいと望むから?」
「そうして欲しいと望むなら、
 私はそばにいる。
 魔法使いとはそういうものなのさ」

 女の子には
 結婚の話が持ち上がっていました。
 お隣の国の王子様との結婚を、
 王様も御妃様も望んでいました。
 王様も御妃様も
 魔法使いのことを知りません。
 魔法使いは
 女の子にしか見えないのだから
 しかたがありません。

 魔法使いとはそういうものなのです。

 女の子は王様と御妃様のことを
 とても愛していました。
 だから、二人の望み通りに
 隣の国の王子様と
 会ってみようと思いました。
 女の子はお姫様になっていたのです。
 それでも女の子は、
 魔法使いのことが気になりました。
 魔法使いへの気持ちをなんと呼ぶのか、
 どんな言葉にすればよいのかが、
 女の子にはわかりませんでした。

 隣の国の王子様は
 とても素敵な王子様でした。
 女の子は王子様に会ったとたんに
 恋をしてしまいました。

 すると魔法使いのことは、
 すべて忘れてしまいました。

 魔法使いとは、そういうものなのです。

 その夜、
 眠るお姫様のところへ
 魔法使いは現れました。
 魔法使いには
 眠っている女の子が見えますが、
 もし、目を覚ましたとしても
 お姫様には魔法使いは見えないのです。
「もしも、
 君がぼくを選んでくれたなら、
 魔王の呪いが解けて、
 もとの王子にもどれたのだが」

 魔法使いはそうつぶやくと、
 淋しそうに笑って、
 眠っているお姫様の頭を
 そっとなでました。

 別れには、
『再会を約束する別れ』
『神の祝福を呼ぶ別れ』
 があります。
 しかし、
 このときの魔法使いの別れは、
 『あきらめるしか仕方のない別れ』
 でした。
 だから魔法使いはお姫様に
「さようなら」といいました。
 そして
 魔法使いは
 月の彼方に歩いて行ってしまいました。
 魔法使いとは、そういうものなのです。 


 お姫様は王子様と幸福にくらしました。
 王子様はやさしい方でした。
 お姫様の幸福は本物でした。
 それでも吹き抜ける風や、
 しんしんと降る雨に、
 誰かのささやきが聞こえるような
 気がしました。
 そんな時、お姫様は、
 大切ななにかを忘れてしまった
 ような気がしました。
 
 そして
 なぜか自分の頭を
 そっとなでてみるのでした。

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