ニーファイ第二書31-33章:永遠の命に至る道〔質問を尋ねる〕
先週は少し体調を崩してしまい、毎週続けてきた記事の公開ができませんでした。気を取り直して、今週から改めて毎日の聖文の学びを公開していきたいと思います。
今週は、ニーファイ第二書31-33章が読書範囲です。モルモン書の最初の主要な著者であったニーファイの記録の結びの部分となります。
ニーファイはこれまで自分たちの家族が歩んできた旅路、その中で見出してきた救い主について記録してきました。ニーファイ第一書の終わりから、ニーファイ第二書の大部分、限りある版のかなり大きな部分を割いて、父の最後の言葉、弟ヤコブの説教と預言、旧約の預言者イザヤの言葉、更に自分自身の教えと預言を加えて、エルサレムから連れ出された自分たち家族とそこから続く子孫たちが主の聖約の民の一部であり、自分たちと子孫たちが決して忘れられることはなく主の聖約とその祝福の範疇にあることを明確にしてきました。
ニーファイはその記録の焦点を常に、自分たちの救い主に当て続けてきました。
そのニーファイは自分の記録を終えるにあたり、読者であるわたしたちに何を書き残そうとしていたのかを想像すると大変興味深く思います。わたし自身の聖文研究の焦点もイエス・キリストに当て続けられるように願っていますが、今週の31-33章はうってつけの学びの経験になる予感です。
31章の冒頭には次のような言葉があります。
彼は、これまで自分が書き記してきたこと、引用した弟ヤコブやイザヤの預言の引用、それらの言葉の解説とニーファイ自身の証に満足しています。しかし、自分の記録を終えるにあたり、彼がこれを書き記さずには終われないと思えた重要なテーマがあったようです。それが、ニーファイが「キリストの教義」と呼んでいる教えです。
そこで、わたしは今回の学習で大きく3つのことに注目して学ぶつもりです。
ニーファイの記録の主題は何か?
ニーファイの記録の目的は何か?
イエス・キリストについてどのようなことを学べるか?
今回はこのような大きな質問をもって31-33章を学び始めました。聖文を学ぶときに、特定の節や言葉に注意を向けることもありますが、より大きな視点に立って学ぶこともあります。実際に学ぶプロセスでは、この大きな視点とより細部に注目することを行ったり来たりしながら学んでいっているような気がします。今回の学習もまさにそうでした。
読み進めてみると、ニーファイが「キリストの教義」と呼ぶものが何を指しているのかが明確に表現されていました。
これらのニーファイの言葉から、「キリストの教義」を次のように自分の言葉で定義してみます。
ニーファイはその教えを単なる情報ではなく「道」として表現しています。彼はわたしたちにそれを知識として蓄えてほしいのではなく、行動し実践し、その教えに生きることを願って書き記していることがわかります。
そこで、ニーファイが救いと永遠の命に至る〈「唯一の真正な」道〉と教えていることがらをまとめてみます。
キリストを信じる信仰:人を救う力を備えておられるキリストの功徳にひたすら頼る(2ニーファイ31:19)
悔い改めとバプテスマ:永遠の命に至る道に入るための門をくぐる(2ニーファイ31:4-13,17-18)
聖霊を受ける:罪の赦しが与えられる(2ニーファイ31:12-14,17-18)
最後まで堪え忍ぶ:キリストにあって確固として前進する(2ニーファイ31:14-16,19-20)
聖霊の勧めに従う:永遠の命に至るまで「なすべきことをすべて示す」聖霊の役割(2ニーファイ32:1-5)
これらの教えはすべて、モルモン書という書物のページにしるされている文字ではなく、わたしやあなたが毎日生きる人生の指針とし実際にそれに沿って生きるようにという願いが込められた教えです。
そう考えると、頭で理解することを心にまで染み込ませることが非常に重要なことだと感じられました。教義そのものへの理解を深めるだけでなく、自分に当てはめて決意にまで昇華させなければならない教えだと感じました。
そこで、それぞれの教えを次のような質問をガイドに再度深めてみることにしました。
「キリストの教義」のそれぞれの要素あるいはステップは、何を意味しているのだろう?
ニーファイ自身は、どのようにこの教えを生きてきただろう?
わたし自身は、どのようにこの教えを生きてきただろう?もっとこの教えに改心するなら、わたしの生き方をどのように変えたいと思うだろう?
この「キリストの教義」は、読者である皆さん一人一人に向けて書き記されています。ニーファイのわたしやあなたへの招きは次の通りです。
あなたも一緒に、このニーファイの教えとそれが記されたモルモン書が、自分にとって信じるに値するものかどうか、学んでみませんか。それが、本当にイエス・キリストの言葉であるかどうか、それが本当にあなたに救いと喜びをもたらす生き方であるかどうか、確かめてみませんか。
次回以降の記事で、わたし自身が学び感じたことを引き続き分かち合いたいと思います。皆さんにとってもモルモン書が価値あるものとなるように祈っています。
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