”排除アート”?なる言葉を遅ればせながら初めて知りました
「ドキュメント20min」という番組を最近観るようになりました。短い番組ながら、ドキュメンタリーならではのメッセージ性の強さがダイレクトに伝わってくる、非常に印象的な番組だと思います。
先日のタイトルは「”排除アート”?をたどって」。この「?」こそ、この回の内容を集約している大事なマークだったのかもしれません。
そもそも”排除アート”という言葉自体を私自身遅ればせながら今回初めて知りました。確かに言われてみれば、いつの頃からか公園のベンチには横たわれないように仕切り(手すり)が設置され、街中でもある程度の広い面積部分に突起のある謎のオブジェなどの創作物が多く見られるようになったような気がします。
駅前の大きなベンチのようなオブジェも、座りたくても丸みを帯びていて長時間は座れない仕組みになっている物とか確かにありますよね。
それらが設置された目的を探るのがこの番組のテーマだったわけですが、大まかに言えば、ホームレスの方たちが寝たりする居場所として使えないようにするためではないか?というのです。だからこその”排除”という言葉。
例えば、昔渋谷の地下道にいくつもの段ボールハウスがあって、その道を通るのをためらう時代もありました。今ではそこは通路が明確に分けられた仕切りがあり、カラーコーンも置かれているので寝るスペースを確保することはできなくなっています。だから安心して通れるようになったのは事実です。
ただ一方で様々な理由でホームレスとして生きざるを得ない人たち、あえてホームレスとして生きている人たちがいるわけで。特にコロナ禍でそうなってしまった人たちもいらっしゃることでしょう。
確かに公共の公園のベンチを寝場所とすることは決していいことではないでしょうが、地べたにダイレクトに寝るよりは、ベンチはありがたい存在だと番組中に出て来たホームレスの方もおっしゃっていました。街中が”排除アート”なるものを設置していくことに対しては「仕方がないと思う」とも。そう言い残して去っていく寂しい背中を観て、何とも言えない気持ちになりました。
一方が心地よさを感じたとしても、ある一方は途方に暮れるほどの辛さを感じている。万人にとって満足のいく物がこの世の中にどれだけ存在しているのかは分かりませんが、少なくとも”公共の場”という考え方があるのならば、それらは誰にとってもの”公”の場である必要もあるのかもしれないと。もちろん、これがきれいごとだとは分かっているつもりです。
でもある特定の人たちにとって特に優しくない街づくりばかり実現されていくことに対して、この番組は少し立ち止まって考え直す機会を与えてくれたのだと思っています。
あるベンチを作られた女性は可動式の手すりを設置した・・・考え方によって万人にとって優しいベンチ作りをしたいと思われたのだと思います。そういう小さな工夫がもしかしたら一つの命を救うことに繋がるのかもしれない・・・大袈裟なようで案外優しい街づくりは今こそ必要なことのなのかも・・・そんな気がします。
誰かが誰かを”排除”するなんて、それはやっぱり悲しいこと。