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仙台四郎って、うちの親戚らしいよ

「昔、仙台四郎っていう人がいたんだって」
そんな話を母から聞いたのは、私がまだ社会人になって間もなくのことだったように思います。

東京育ちだった私は、仙台四郎のことを何も知らずに大人になりました。
両親ともに実家が仙台にあったため、子供の頃からお盆とお正月には毎年必ず仙台に帰省はしていたものの、街で出回る仙台四郎の写真やグッズの存在には気づいていませんでした。

あるとき帰省した仙台の祖父母宅で、たまたま母から仙台四郎の話を興味深く聞いていたところ、横で祖母が言ったのです。

「なんかねぇ、仙台四郎さんは、うちの親戚らしいのよ」

祖母曰く、我が家が仙台四郎の親戚筋に当たるということで、本家に各方面からの問い合わせが何度かあったらしい、と。

祖母の言う「本家」というのは祖父の実家です。だったら祖父に詳しく聞こうと思ったものの、高齢の寝たきり状態。在宅介護でほとんどの時間をベッドの上で過ごす祖父に「おじいちゃん、何か知ってる?」と声をかけてみるも、「…あぁ…シロバカって言われてたんだ…」という返事がやっと。残念ながらテンポよく会話できる状態ではなく、この件についてそれ以上の情報を聞きだすことはできませんでした。

というわけで、その場は「ちょっと面白い茶飲み話」程度で終わってしまい、私もしばらくその件は忘れていたのでした。

そういえば、仙台四郎は親戚だって聞いてたな

再び仙台四郎のことを思い出したのは、それから15年近く経ってからのことです。

東日本大震災が起き、私はNGOの職員として東京を拠点に支援活動に従事していました。

これまで以上に東北地方に出入りする機会が増えるに従い、街で仙台四郎の写真やグッズを見かけたり、ローカルのテレビCMなどで仙台四郎の名前が流れてくるのを耳にしたりするようになりました。

そういえば、仙台四郎がうちの親戚だって聞いたことあるな。

突然興味が湧いた私は、何冊かの参考文献を取り寄せて読み始めました。

やっぱり親戚だったか

祖父の実家は、江戸時代より伊達藩に火縄銃を納めていた鉄砲鍛冶屋でした。明治以降も銃砲を扱う家の息子として育った祖父は、昭和の時代も狩猟の季節になると鉄砲をかつぎ、兄弟達や息子である私の父と連れ立って山に入るのが趣味でした。私はそんな祖父や父に我が家の歴史の名残を感じながら育ちました。

さて、取り寄せてみた数冊の文献。するとそこには、仙台四郎は鉄砲屋の息子、とあったのです。そして幕末時代から明治にかけての祖父の実家の家系図とともに、四郎の生家や生い立ちに関する詳しい解説がありました。

書籍の中には、あのゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげる翁による漫画作品(神秘家列伝 其ノ四、角川文庫)もありました。

それらの文献によると、私の祖父の祖父は、四郎の兄

ゲゲゲの鬼太郎が生み出された同じペン先で、自分の祖先も四郎の家族として描かれているって…。それはまるで、私と目玉おやじが親戚だと言われているかのような不思議さ。すっかり異次元空間に迷い込んだ気持ちになりました。

私と四郎との本格的な関わりは、こうして幕を開けたのです。




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