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小学生のときから持ち続けた「好き」な気持ちを原動力に。オンライン日本語教師・かおりーにゃさん

「やりたいことを実現するには、どうしたら良いのか?何かできる方法があるはずだ、と考えて行動しています」

ゆっくりとした口調でやさしい雰囲気を感じさせるかおりーにゃさんは、夫の転勤で子連れの引っ越しを繰り返しながら、小1、年中の2人を子育てしている母親だ。

子どもをもつ前は、さまざまな国籍の外国人を相手に、日本語教師としてバリバリ働いていた。

第二子の妊娠後期には、オンラインでもできる日本語教師の募集を見つけ、迷わず応募。採用決定後から現在に至るまで、子育て中でもアクティブに動いてきた。

現在は千葉に住み、育児とのバランスをとりながら、在宅でオンライン日本語教師として活躍中。

自分の軸をもって生きている かおりーにゃさん。

今回は、音声のみで会話ができる「Twitterのスペース機能」を使って、仕事と育児への向き合い方についてインタビューした。



消えなかった日本語教師への想い

「昔、国語の授業で、動詞の五段活用を習ったの、覚えています? いつも当たり前のように話している言葉がこんなにきれいに分類できると知って、おもしろいと感じたんです」

小学生の時から、言語の成り立ちやルールに興味をもっていたかおりーにゃさん。さらには、それらを伝える術を身につけたいと、大学では日本語教育を学んだ。


しかし卒業後は、システムエンジニアという、語学とはまったく異なる分野の仕事に就く。

「熱意のある日本語教師ほど、授業の事前準備に力を入れがち。その労力を考えると、決して割がよい仕事とは言えない」という理由から、生活のために選んだシステムエンジニア。

けれども、お金だけで充足感を満たすことは難しく、かおりーにゃさんは日本語教師として働く夢を諦められなかった。

「ちょうど3年働いたタイミングで結婚しました。夫の収入のおかげで生活の基盤がかたまったので『日本語教師の仕事に挑戦させてください!』とお願いしたんです」



日本語教師は意外にも「肉体労働」だった

結婚後、日本語教師の団体に所属したかおりーにゃさん。2010年台前半、オンラインやSNSは今ほど普及しておらず、仕事は対面レッスンが主流。

日本語学校での授業のほか、外国にルーツを持つ子どもへ個別指導をするため、地域の小学校を巡回するなど、移動時間も多かったという。

「外国にルーツをもつ」とは一般的な「ハーフ」や「帰国子女」に限定されない。
■両親ともに外国人だが日本生まれ日本育ちの子
■両親ともに日本人だが外国生まれ外国育ちの子
■血縁的には両親ともに外国人だが、片方の親が日本人と再婚して来日した子
上記のケースなども含み、幅広い意味で使われている。


「報酬は、授業や個別レッスンの時間のみに発生します。事前準備や移動にかかる部分には1円も出ない。ていねいに用意をすればするほど、時給が下がる状況でした」

念願の日本語教師になったものの、収入を上げるために授業の担当コマ数を増やすと、肉体的に苦しくなる。かといって、授業の準備には決して手を抜きたくない。


このジレンマは、第一子を出産する直前までの5年間、ずっと続いた。しかしこの時期に「悩みながらも、結局、がっつり働いた」ことが、現在の日本語教師としての自信につながっている。



空白の2年間で再確認した、日本語教師への想い

順調にキャリアを積んでいったかおりーにゃさん。第一子出産後はすぐに仕事復帰するつもりで準備を進めていた。

しかし出産直前に夫の転職が決まり、横浜から山梨へ移り住むことに。

「対面メインの仕事だったので、『あぁ、私はもう仕事を辞めるんだなぁ』と思いました」


それでも諦めず、山梨では、新たな日本語教師の仕事を見つけた。

しかし、条件に合う子どもの預け先探しに難航し、一度、日本語教師から離れることを決断する。


その後、「何でもいいから働こう」と、ベビーカーを押して参加した母親向けの就職フェアで、人柄の良い個人商店のお米屋さんと出会った。

無事に保育園も決まり、「子どもの体調不良時には必ず休める」など、かなり融通が利く条件で、週4回のパートを始めた。


「いま思い出しても、本当に恵まれた環境でした」

お米屋さんのパートに不満はなく、日本語教師から離れて約2年。かおりーにゃさんは第二子を妊娠する。

通常、産前休暇は出産予定日の1か月半前から取得できるのだが、店側の厚意で3か月前から産休に入ることができた。


この時、彼女に転機が訪れる。


以前の教師仲間から「オンラインでできる日本語教師にチャレンジしないか」と声をかけられたのだ。

まるで、タイミングを見計らったかのような誘いに、かおりーにゃさんは「下の子がお腹に来てくれたタイミングが、人生のターニングポイントだった気がする」とさえ感じている。


応募するにあたり、唯一の障壁だったと言えるのが、ちょうど出産の前後で行われる予定になっていた全12回の初期研修だろう。

仕事はオンラインで完結するが、これだけは東京でのリアル参加が必須だった。

しかし彼女は、今後のキャリアを見据え、迷うことなく東京通いを決心。応募すると、見事に採用された。


かおりーにゃさんの日本語教師への想いは、2年経ったこの時も、色褪せることはなかったのだ。



好きだからこそ、乗り越えられた

「山梨から東京までの日帰りとなると、保育園の預かり時間だけでは足りなくて。園とは別に、地域の子育て支援サービスを活用して、なんとか乗り切りました」

ここでいう「地域の子育て支援サービス」とは、自治体が運営している、子育てを助け合う活動のことで、「ファミリーサポート」と呼ばれている。援助を受けたい依頼者と、支援をしたい提供者から構成されており、ファミリーサポートセンターが両者のマッチングを行う。

特に、第二子を出産した直後の研修は、想像を絶する。

朝6時。子ども2人をファミリーサポート宅へ連れていき、かおりーにゃさんは東京へ向かう。

サポートさんには上の子を9時に保育園へ送ってもらい、夕方山梨に戻ったかおりーにゃさんは、まず18時半に上の子のお迎えへ。その足でサポート宅へ行き、生後間もない下の子をピックアップして帰宅、というハードスケジュールをこなしたという。

出産から日が浅く、自身の体調変化もあった中、再び日本語教師として働ける喜びから、エネルギーに満ちあふれていたのだろう。

それだけ、「日本語教師が好きだ」という気持ちは本物で、彼女も天職だと感じているのかもしれない。



「どうすれば日本語教師を続けられるか」を模索する日々

無事に、東京通いの初期研修を終えたかおりーにゃさん。

いよいよ、本格的にオンラインでの日本語教師を始めようとした矢先、今度は夫の千葉への転勤が決まり、引っ越しを余儀なくされる。

実際には、夫が一時的な単身赴任をし、第二子が生後4か月になるまで、かおりーにゃさんがひとりで家事をまわしながら子ども2人の面倒を見ることに。いわゆる、ワンオペ育児である。

しかし、このときの経験が、かおりーにゃさんの仕事に対する信念を確固たるものにする。

「短い単身赴任だったとはいえ、子どもは、やはり父親と一緒に過ごす方がいいと感じました。この先、たとえ子どもが転校することになっても、家族全員でついていくと決めています。

だからこそ、全国どこに行っても自宅でできるオンライン日本語教師は魅力的。なんとしても続けたいと思いました」


しかし、「オンライン日本語教師」としての新たなキャリアを積むにあたり、またしても子どもの預け先問題が立ちはだかる。

引っ越した先は、千葉の中でも待機児童が多い激戦区。休職状態に近かったかおりーにゃさんは、保育園に落ちてしまった。


0歳と2歳の幼い子どもを自宅で見ながらの環境では、オンライン日本語教師の仕事は、単発のものしかできなかった。

その時でさえ山梨時代と同様に、毎回ファミリーサポートを利用。場合によっては、子ども2人を別々の預かり先に送迎することもあった。

当然、保育料が収入を上回り、大赤字だったという。


「それでも、細々とでもいいから、日本語教師を続けたかったんです。自分のやりたいことのために、どうにかしてできる方法をずっと探し続けました」

彼女は、本当に日本語教師という仕事が好きなのだろう。やさしい口調の中に、彼女の芯の強さを垣間見たひとことだった。



いまは自分の仕事を最優先にしない。家庭が崩壊するから

インタビュー中、彼女の口からもっとも多く出てきた言葉は「もっと、がっつり働きたい」だ。

千葉に引っ越してきた直後は保育園に入れず苦労したものの、その後、上の子が幼稚園に入れたことを皮切りに、下の子も保育園を経て幼稚園へ転園、上の子は小学生になるなど、この3〜4年で子育ての環境も少しずつ変化している。

子どもの成長に伴い、在宅で働ける時間も増え、環境を着々と整えていった かおりーにゃさん。

現在は趣味が高じて、オンラインのお料理レッスンも始めている。


彼女は「自分が最優先、夫と子どもは二の次」という考えの持ち主なのだろうか。一瞬、そんな疑問が浮かんだが、それは違う、と感じた。

「がっつり働きたい」とは言うものの、今の彼女はあえて「がっつり働かない」状態を選択しているのだ。

「保育園なら18時まで預かってもらえるのに…」という思いが頭をよぎることもあるが、現在は幼稚園の預かり保育を利用しつつ、16時には仕事を切り上げてお迎えに行っている。


現状を、こう話してくれた。

「上の子が学童を嫌がったらどうしようとか、帰宅が遅くなればなるほど下の子は機嫌が悪くなるだろうなど、子どもが大きくなったとはいえ、子育ての悩みや心配事は尽きません。

ここで私が仕事に没頭すると、時間に追われてイライラして、家庭も私も崩壊するのが目に見える。

だから、今はセーブする時期だと割り切っています。この環境でも、やりたいことができていますから」

かおりーにゃさんがオンライン日本語教師の仕事を思いきり加速するまで、もう少し、時間が必要そうだ。

しかし、好きな仕事を続けられることへの感謝を忘れない姿には、頭が下がる。


いずれは自分ひとりの収入で家族を養えるようになりたい

かおりーにゃさんには、2つの夢がある。

ひとつは、家族を養えるところまで収入を上げること。夫婦どちらかに万が一のことがあった時にも困らないようにしたい、と考えてのことだ。

趣味から始めたオンラインのお料理レッスンでは、最近、外国人生徒向けのクラスを立ち上げた。

将来的には「料理を通じて日本語を教えたい」と考えており、好きなことと得意なことを掛け合わせ、仕事の幅を広げていく構想だ。


そして、もうひとつの夢は、家族でブラジル旅行をすること。

「アマゾン川流域にある町で、毎年6月最後の週末に3日間行われる『ボイ・ブンバ』というお祭りに行きたいんです」

リオのカーニバルは有名だが、ブラジルには他にも、大小さまざまなお祭りがある。

「ボイ・ブンバ」は、スタジアムの中央を舞台に、赤組と青組に分かれたチームが歌や踊りを競い合うもので、毎年世界中から観光客が訪れる。

かおりーにゃさんは、過去に2度、ボイ・ブンバを見に行っている。独身のときと、夫婦2人のときだ。だからこそ、今度は子どもたちを一緒に、という思いがある。


「でも、家族4人で地球の裏側への旅行となると、200万円くらいはかかるんですよね」

このあと、「…そんなお金、なかなか出せませんよ」と続くのかと思いきや、ふふふと笑う彼女の声色は、希望にあふれていた。


こんなにも至近距離で撮影できる。
(写真提供:かおりーにゃさん)


青組では鳥の上でダンスを披露。
背後のコカ・コーラの看板が、赤から青に変更されるという粋な計らいもある。
(写真提供:かおりーにゃさん)


ところで、なぜ「ブラジル」なのか。何か特別な縁があるのだろうか。

「小学校6年生の時、同じクラスにブラジル人の女の子がいて、その出会いが、ブラジルに興味を抱いたきっかけです。

実は大学在学中、1年間休学してブラジル留学したんです。独学でポルトガル語を勉強して、日常会話くらいなら話せるようになりました」

これまで、道なき道を切り開いてきた かおりーにゃさん。彼女には、ブラジルへの一貫した想いと、日本語教師を諦めなかった芯の強さがある。この2つの夢が現実になる日は、そう遠くないのかもしれない。


取材後記

私とかおりーにゃさんの出会いは、2021年夏。お互い、音声配信アプリ stand.fm の利用者で、お子さんをビニールプールで遊ばせながらLIVE配信していた彼女のもとに、私がフラッとお邪魔したのがきっかけだ。

最初の声の印象は「おっとりした人」。私とは逆のタイプだと感じた。しかし今回のインタビューを通して、彼女の信念の強さにすっかり魅了され、同じ「子を持つひとりの個人事業主」として、お手本にしたい存在になった。

軸がブレない かおりーにゃさんのスタンスに共感した方は、ぜひとも、彼女の癒しボイスとのギャップも楽しんでほしい。


今回のインタビュー音源はこちら


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