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【気づき】Vol.0809(2010年10月13日発行のブログより)

掌編小説。

⻑編小説、短編小説という表現がある。

短編小説よりもさらに短い小説が掌編小説だ。

掌編小説というのは、
まさにてのひらに収まるような、短さの小説である。

僕は掌編小説と聞くと、
真っ先に思い浮かぶのが、 太宰治の『満願』である。

1500⽂字程度だから、 原稿⽤紙にして4枚くらい。

ふわっと書き上げたようなこの掌編小説は、
天才作家としてのエッセンスが詰まっているように思う。

ムダがなくて、どこも編集しようがない洗練された文章。

⼀字⼀句に⾄るまで、これ以外の表現はあり得ない。

わずかこれだけの文章の中に、
状況説明も必要最小限に完璧に表現されている。

タイトルの「満願」は、期限付き神仏の修行の最終日の意味だ。

何気に登場する、奥さんの弟で沼津の商業学校に通っている、
おとなしい少年もなくてはならない重要人物なのだ。

すべてが最後の⼀⽂、
「あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。」の「あれ」で
決着がつく。

あっという間に中⾝に惹き込まれたかと思うと、
まるで自分が主人公であるかのように、
ありありとカラーの風景が鮮明にイメージできるではないか。

「⽩いパラソルをくるくるっとまわした。」の部分になると、
もう読者は完全に⽬の前にその女性がいるような、そんな錯覚に陥る。

自分が昔好きだった女性の中で、誰か一人をイメージする。

おっと、これは小説だったか、とハッと我に返る。

ちなみに、僕は太宰治が好きだというのではない。

太宰治にしろ、芥川⿓之介にしろ、
日本人初のノーベル⽂学賞を受賞した川端康成にしろ、
最後に自殺をしている人は、僕はどうも好きになれない。

でも、それはそれである。

その人の生き様はともかくとして、作品は天才的だ。

本というのは、書き出しはもちろん人間が書くんだけど、
結論は天が決めているような気がする。

 最初から結論を決めて、
企画書を準備したような⽂章はたいていつまらない。

書いているうちに、

「うわっ!こんな結論になるんだ!」

「予想もつかなかった!」

「いったい、どうなるんだろう・・・?」

と書いている本人が最初の読者としてワクワクするようでないと、
面白い作品など書けるはずがない。

文字どおり、天が結論を決めているから「天才」なんだよ。

画家や作曲家もまったく同じことだと思う。

追伸.

仕事でも勉強でもスポーツでも、
コンスタントに⼀流の成果を挙げ続けている人というのは、
動きに無駄がないんだね。

無駄を省けば省くほどに、人も富も集まるようになってくる。

たった一行の名キャッチコピーは、
1万文字の企画書よりも遥かに人を惹きつけて高い値がつく。

なんだ、全部、同じじゃないか。

...千田琢哉(2010年10月13日発行の次代創造館ブログより)

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