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【気づき】Vol.0931(2011年1月27日発行のブログより)

他人の不幸は密。

「他人の不幸は密の味」という。

人間の “いやらしさ”を見事に衝いた本質だ。

果たして本当だろうか。

確かにすべての人がその経験はあることは否定できないだろう。

しかし、すべての人がそうでない経験をしたことも否定できないだろう。

では、いったいどんなときに他人の不幸が蜜の味ではなくなるのだろうか。

それは、自分が大好きなことばかりで生きていて、
毎朝起きるのが待ち遠しくて仕方がない人生を送っているときである。

こうしたときには、他人も同じように大好きなことで生きて欲しいし、
⼀緒に幸せを大いに語り合いたいと思うものだ。

不幸な人が近づいてくると、普段の笑顔を隠すのが苦痛になるのだ。

愚痴を言う人が近づいてくると、吐き気がするのだ。

直接的あるいは間接的に、周囲にこんな経験をした人はいないだろうか。

仲良し女子中学生3人組(A・B・C)がいた。

AとBの容姿は人並、Cは容姿端麗で同級生の男子学生にモテた。

3人組のうち2人(A・B)だけが、第1志望の高校に合格した。

でも、運命のいたずらで1人(C)だけが不合格になった。

合格したA・Bは本当は悦びを分かち合いたいのに、
Cのために笑顔を隠すのに必死だった。

本音を告白すれば、AとBは男子生徒から人気だったCに対して、

「いい気味だ」

という感情が多少ないわけでもない。

否、大いにあった。

一方、不合格になったCにしてみれば、
本当はA・Bのうちどちらか1人でもいいから、

「実は採点の間違いで不合格になりました」

ということにならないかとは思わないまでも、

「採点の間違いであなたは合格になりました」

という電話がかかってこないかと淡く願う。

ありもしないことを枕を濡らしながら切望する。

Cにとっては、
自分より不幸な人を探すことによって精神的バランスを取ることが、
せめてもの救いになる。

人間は自分よりちょっと不幸な人を見つけて、励ますことが大好きなのだ。

人を励ましている間は、
現実逃避してコンプレックスの解消ができるからだ。

入学当初、Cは自分が不合格になったあの第⼀志望の高校の校章を、
A・Bがこれ見よがしにキラリと輝かせながら、
駅のホームを通り過ぎていくのが気になって仕方がなかった。

たいして冴えないA・Bが輝いて見えるのだ。

この時期は、
「Cの通う高校も悪くない学校だから、がんばれば何とかなるよ」

という励ましをA・Bから会う度に受けた。

次第にA・BとCの距離は遠のいていく。

Cと目を合わせても軽く挨拶を交わしてくれるならまだいいほうで、
無視して通り過ぎていくこともある。

久しぶりに高校2年生の夏休みに、
Cは近所の図書館でA・Bにバッタリ会う。

マクドナルドでランチをすると、どうやらA・Bは高校での成績が急降下。

特に理数系は壊滅状態で赤点の嵐らしく、すでに国立大学への進学は諦め、私立大学に的を絞っているという。

2人ともすっかり枯れてしまって高校入学時のオーラはどこにもない。

一方のCはこの時は話さなかったが、開校始まって以来の秀才と噂され、
常に学年トップで今年から授業料全額免除を受けていた。

マクドナルドでのA・Bの会話といえば、
自分たちが通っている高校とCが通う高校のレベルがいかに違うか、
進学校はレベルが高くてたいへん、・・・といった内容が中心だった。

「あなたの高校でトップでも、私たちの高校だったら真ん中以下ね」

と言わんばかりだった。

1年半後・・・3人とも高校を卒業した。

Aは地元の冴えない新設の私立大学に、
Bはそれすら叶わず短期大学に推薦枠で入学した。

Aは、「校舎が綺麗で学⾷のメニューも豊富だから」

Bは、「⼥⼦は短大のほうが就職がいいから」

と虚しい言い訳をした。

CはA・Bが通う高校のトップクラスの⽣徒たちがこぞって憧れた、
誰もがひれ伏す地元の⼀流国立大学に堂々と⼀般入試で合格。

A・Bが憧れだった全国有名私立大学の推薦枠はすべて辞退した。

入学してまだ半年もしないが近所の人や知り合った人たちに、

「どちらの大学に通っているの?」

と質問されると、

「一応、○○大学です」

と微妙に「⼀応」と枕詞を付け加え、⼀拍置いて答える心得もあった。

それに対して相手が、

「美人で頭もいいって、スゴイね!」

「天は⼆物を与えるんだね!」

と目を大きくして言われること数⼗回(否、100回を超えたかもしれない)、すっかり慣れてしまった。

その度に美しい身体の細胞の1つひとつが活性化されて自信で漲り、
より美貌が増していくのが自分でもよくわかった。

⽪⾁なことに、Aの通う新設私立大学とは目と鼻の先。

バス停はわずか⼀つ違いではないか。

Aの通う私立大学の女子学生たちは、
Cの通う国立大学のサークルの合コンの数合わせによく利用された。

短大に通うことになったBはもっと悲惨だ。

通学する際に乗⾞する駅が同じでBは「下り」ホーム、 Cは「上り」ホーム。

まるで地獄行きと天国行きと見られているかのようだった。

週に何度かホームで向き合うことも少なくなかった。

A・Bにしてみたら、
Cが何かの間違いで不幸な目に遭ったという噂を聞きつければ、
朝まで酒の肴になるはずだ。

・・・以上は多少脚色したもののすべて実話である。

こんなのはよくある話だろう。

もちろん、A・B・Cの人生にとってほんの序章に過ぎなかった。

人生において朝のラジオ体操のような準備段階でさえこうなのだ。

レールの上を歩み続ける人間社会ではこの後も、
就職、結婚、出産、子どもの成長、夫の年収とステイタス、
孫の自慢話・・・と無味乾燥な競争がエスカレートして繰り広げられていく。

他人の不幸は密の味。

それは自分が大好きなことで生きていない結果だったのだ。

追伸.

多くの成功者たちがそうしているように、
自分でエリートコースを創ってしまえば、
“いやらしい”世界とは無縁で生きていけるんだけどね。

他人が創ったコースを走るのが大好きな人はたくんさんいるから。

 ...千田琢哉(2011年1月27日発行の次代創造館ブログより)

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