自分というマイノリティの枠を超えて思いを馳せる
ゴールデンウィークに慶應丸の内シティキャンパスが提供している夕学クロシングを申し込み視聴している。今日は世界は東工大学 社会学 名誉教授の橋本大三郎先生の「世界は四大文明でできている」で学んだ。世界の人口のほとんどが四大文明に属しており、日本人はマイノリティとしてその役割を見つけ、十分にこれら文明と歩調を合わせていかなくてはならないというお話だった。
四大文明とは、キリスト教(25億人)、イスラム教(14億人)、ヒンドゥー教(10億人)、儒教(13億人)を指す。講演の内容をすべて話すとネタバレになってしまうため避ける。しかし、イスラム教とキリスト教は両方とも、一人の「神」を起源にしており、それらを伝えた預言者(ムハンマド)や神の子(イエス)のどちらの話を「正しい」ものとして考えているのかが異なる「だけ」であることなど、とても分かりやすく説明してくださった。
これら人口に対して日本人は1億人程度。文化よりも根深い宗教文明が持つ影響力と共存していくにはどうしたらよいだろう。マイノリティとして生きていくには、まず相手をよく知ることが大切だろう。相手がどのように考えているのか、そしてそれらに太刀打ちしようとすることなく、自分の主張をどのように相手に刷り込んでいくのか。相手を尊重しつつ、その代わり、こちらの意見も尊重してもらえるような、関係が作れるとよいのではないか。相手の文明に思考を合わせて、うまくそれぞれの正典を引用しながらレトリックを組んでいくとよいように思う。
最近、自分自身に目線を向けすぎている時間が非常に長くなっているように思う。「自分はこうしたい、でもできない」とか、「自分はこう思うから、このような行動に出る」など、友人や身近な人が今どのような気持ちでいるのか、特に文明の異なる世界の先では、人々がどのような気持ちでいるのか、思考を巡らせてみよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?