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君たちはどう生きるか
スタジオジブリ作品が好きだ。
子ども頃からずっと好きだ。
もののけ姫や千と千尋を映画館で観たときの衝撃は忘れられない。
今まで見たことのない世界がスクリーンに広がっていて、これから先、何を見せてくれるのか、前のめりになり、食い入るように見ていた。
大人になってからも、金曜ロードショーで繰り返し観ている。
もののけ姫も千と千尋も公開から20 年以上の時が経っているけれど、いつどんな時代に観ても、その世界観が色褪せない。むしろ、どんどん輝きを増している。
宮崎駿監督がそれぞれの作品にどんな思いを込めたのか、私には正確に理解することできないだろう。
でも、全ての作品から、
この生を生ききれ
という壮大なメッセージを感じる。
もののけ姫では、
生きろ
というセリフがでてくる。
生きるという動詞の命令形。
普段、生きることを当たり前だと思っているどころか、当然の権利だとすら感じている。
昨日も今日も何の疑問も持たず生きていて、明日が来ることを疑うこともない。
だから、生きるという言葉を使ったり聞いたりしたことがほとんどなかった。
その命令形の生きろという言葉はもののけ姫で初めて聴いた。それ以外では聴いたことがない。きっとこの先もないだろう。
生きろという言葉のシーンは観るたびに魂を揺さぶられる。
以前、鈴木敏夫とジブリ展に行ったとき、同じような衝撃を受けた。
生まれてきてよかった
生きねば
生きる力を呼び醒ませ
生きろ
強い筆跡で書かれたこれらを見て、言葉を失ってしばらく動くことができなかった。
宮崎駿監督が伝えたかったことの尻尾を掴んだような気がした。
そして、極めつけが、
君たちはどう生きるか
というタイトルだ。
タイトルを初めて見たとき、心が震えたのを覚えている。
タイトルに全てを込めてくれたと思った。
どう生きるのか。
生きていることが当たり前だと思って、何も考えず、昨日を焼き増ししたような日々をずっと生きるのか。
何がしたいのか、どうなりたいのか、何よりも大事なことをぞんざいにして生きるのか。
定年まであと何年と指折り数えながら、小さく生きるのか。そんなことを本当に望んでいるのか。
そう問いかけられた気がした。
違う、そんなことのために生まれてきたんじゃない。
自分の人生を生きたい。
命をかけて、この世は生きるに値するんだということを体感したい。
今まで、半分死んだように生きてきたみたいじゃないか。
自分の気持ちに折り合いを受けて、やりたくないことをやることが、大人としての生き方だと思っていた。
そんなことして、何になるんだ。
誰のためにそんなことをやっているんだ。
会社のため?給料のため?組織のため?
十分やったじゃん。それはもう。
自分の人生をどう生きるかをおざなりにして、ずっとずっとやってきたじゃん。
自分のための人生をそろそろ生きようよ。
健康で、行きたいところに行けるのに、何を我慢して、やりたくないことをやってちまちま生きているんだ。
社会のルールに従って、組織の中できちんとやってきた。
それは無駄じゃない、いい経験だった。
でもこれから先もずっとそんなことをやらなくていいんじゃないか。
生き直したい、自分の人生を。
君たちはどう生きるか。
宮崎駿監督からそう聞かれたとき、なんて答えるのか。
安定した暮らしを求めて、定年まで勤め上げました、と答えるのが本望なのか。
違う。
自分の人生をかけてこれをやりました。
この生を生ききれというのが宮崎駿監督からのメッセージだと感じて、精一杯自分の生を生ききりました。何の後悔もない人生でした。
そう言いたい。
今みたいに生きていてはそんなふうに言えない。
今から生き直す。
地球儀を聴きながら強くそう思った。
自分の人生を生きる。
死んだように生きていたくない。
やりたいことをやって生きることを、私は選ぶ。