同い年であることの尊さ
30代になってから、同い年の人と出会う確率がグンと減ったように思う。
会社勤めをしているので、常日頃たくさんの人と仕事をしているけれど、年齢も性別も住んでいるところも違う人たちばかりだ。
自分との共通点を見出そうとしても、ほぼ一致しないどころかひとつも見つからなかったりする。
小中高と、同い年という括りで、学年が振り分けられ、教室の中で同じ方向を向いて、同じことを勉強していて、それになんの疑問も持たなかった。
同い年の友達しかいなかったけれど、それも当たり前のことだと思っていた。
ひとつでも年が上であれば先輩、ひとつでも年が下であれば後輩だった。
先輩には当然のことながら、敬語で話していた。
そんな環境にいたのに、何百人といた同い年の同級生たちはどこに行ってしまったんだろう。
そう思うくらい、日常生活では巡り合わない。
そもそも、働いていて、相手の年齢を気にすることが少ない。
今思うと、同じ教室の中で同い年が集まっていたあの日々がどれだけ貴重だったかよく分かる。
長い人生の中で、そんな環境下で過ごせるのはほんの一瞬だった。
大人になったら望んだとしても、そんな環境に身を置くことはなかなか難しい。そして、いかに不自然だったかということにも気がつく。
作為的にひとまとまりにされていたあの頃は、よくも悪くも、そこにいるしか他なかった。
だから、同い年の人に会うと、たったそれだけのことなのに仲間意識が芽生えてしまう。
初めて会ったのに、一気に打ち解けたような気分になる。
先日、大好きな曲を歌っているボーカルの年齢を調べてみたら、同い年だった。
それで、その曲もその人も今までの比じゃないくらいめちゃくちゃ大好きになったし、ひとえに同い年であることがとても嬉しかった。
自分と同じ年の人が、スポットライトを浴び、たくさんの人に愛されて歌を歌っていることが、誇らしくて仕方なかった。知り合いでも何でもないのに。笑
同じように年を重ねてきた中で、同じものを見てきたということは大きい。
その時に流行っていたものや、聴いた音楽、世の中の出来事などを同じタイミングで経験してきたというだけで、自分と近しい人物のように感じてしまう。
それは社会に出て、たくさんの人に出会い、たくさんの価値観に触れ、人というのは分類分けなどできないことを知ったから。
だから同い年ということがとんでもなく嬉しいんだと思う。
これから先、年を重ねるごとに見える世界は変わってくるんだろう。
今は当たり前に年下も同い年も年上もいるけれど、そのうち、自分がどこにいっても年上になるような状況になっていくのかもしれない。
その変化を楽しみながら生きていきたい。