立ってても、散ってても芍薬
ある日の週末の話。夕方から友人としっぽりバーで飲むことになった。東京は蔵前を、ひとりで歩いていた。昔ながらの街並みの中に工房やちょっとしゃれたお店が点在していて歩いていて飽きない。方向音痴の私は迷ってしまったのだが、その先で偶然花屋を見つけた。そこの花屋は週末だけOpen しているようで、古い雑居ビルの1階の駐車場を販売スペースにしていた。
閉店間際で締め作業をしている様子だったのだが、私は吸い寄せられるようにその花屋に足を運んだ。
一部の花はすでに下げられてしまっていたのだろうが、芍薬と薔薇、グリーンがまだ並べられていて、美しく咲いていた。私は花の目利きはできるわけでは無いけれど、「質がよさそう」「なんかいい」という感覚を直感的に捉えていた。
実は同じ日の昼に別の花屋に立ち寄って花を買おうと思っていたのだ。その時も芍薬に目が留まったのだけれど、なんとなく違う気がしたのと、そのあとの用事を踏まえて買わなかったのだ。
芍薬との再会。これは買うしかない、と1本ピンときた芍薬をお持ち帰りすることにした。
その芍薬は香りが非常にしっかりとしていて、家に1本あるだけで部屋中が芍薬の香りに包まれた。花びらもしっかりついていて、とても力強い。
「立てば芍薬、、、、」という言葉の意味が分かった気がした。
当時私はちょっと仕事で行き詰っていて、芍薬の花や香りを愛でては癒されていた。
芍薬を迎え入れてから4日目の朝。
花のお世話として、花瓶の水を換えて茎の先端を少し切って、水揚げが良くなるようにするのだが、花を持ちあげたときに花びらが1枚、はらり、と散った。
するともう1枚、もうさらに1枚、、、、とバラバラと花びらが抜け始めた。ついさっきまで満開のように見えていた花が一気に散って急に寂しくなってしまった。ほぼ、香りを放つめしべ状態。
翌日は完全に花びらが散ってしまってお別れ。
こんな散り方あるんだ??
すごく驚かされた朝だった。
芍薬を迎え入れるタイミングの私は正念場で疲れがたまっていたのだが、芍薬が散ってから少しずつ自体は好転していったり、私自身の心持が軽くなったりした。
偶然ではあるだろうけれど、芍薬がもしかしたら私が背負っていた重たい「気」のようなものを吸い取ってくれたのかもしれない。
散り際まで美しく咲いていて、残り香を遺してサーっと散っていった芍薬。満開で立っていても、散る姿も美しい。またもう1本迎え入れたい。
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