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噛まないヘビ

6月7日月曜日。

学校に歩いて向かう道すがら、雨が今にも降ってきそうな空の色をちらちらと確認していた。

時折、生暖かい風がゆっくり体を過ぎていく。雨が降り出す直前の匂いが僕のフラストレーションに絡みついてくる。制服の肩パッドの位置が成長とともに合わなくなってきていることもその一つだ。僕はそれが気になってしょうがなくて、ただ歩くことさえも憂鬱だった。

 美術の授業は校庭の写生だった。僕は絵の具セットを持ってくるのを忘れていた。唯一仲の良いクラスメイトの真二の隣に座って、僕は彼に頼んだ。

「パレットの半分だけ使ってもいいかな」

真二は絵の具セットを開けながら答えた。

「大筆でよければ、これも使っていいよ」

「いや、パレットだけでいいよ。指で描いてみる」

そう宣言した僕にだって、なんでこんなこと言ったのかなんて分からない。真二がなにを言っても止めようと思わなかった。どうだっていいんだ。僕らは昇降口の裏手に回ったところで、そこに聳える欅と、フェンス越しに見渡せる住宅街を見ながら黙々と色を作り始めた。

 半分くらい描けたところで、クラスメイトの拓也と章博がこっちに来た。拓也はにやにやした顔つきで僕をからかった。

「線太すぎないですか?飯田画伯」

章博が拓也の言葉で大げさに声を上げて笑った。僕は反射的に立ち上がって章博と対峙した。真二は不安そうな顔で僕を見上げている。

「お前らにこの絵の何が分かる」

「やば、飯田画伯が怒ってるよ」

章博の野次に心底ムカついたのは、これが初めてではない。僕は絵の具が付いた左手で章博の制服に触れようとした。手を伸ばしたらすぐに届く距離だったはずが、拓也が僕の尻を思い切り蹴っ飛ばしたせいで、僕は地面に手を突いていた。手の平と膝が擦りむけた痛みと悔しさが込み上げた。

「飯田、あんまり調子に乗んなよな」

拓也は当然のように言い放った。僕はそんな言い方のできる拓也の顔が怖くなって、彼の赤い運動靴を見ることしか出来なかった。

 転んだ勢いで上がった砂埃を晴らすように風が流れてきた。今朝に感じた匂いは薫ってこなかった。

「はい、雨が降り出したので後は美術室で続きを描きましょう」

先生の声が校庭の方から聞こえてきた。

「保健室、行ってくる」

描きかけの絵を真二に渡して、僕は逃げるようにこの場を去った。


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