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アンドロイド転生1195
2127年4月
モネの所属事務所にて
「ヘレン・ケラー⁈」
「そうよ」
モネの歓喜の声に事務所の女社長は笑みを隠せない。社長も嬉しいのだ。
「あなたはサリバン先生役よ」
モネは感激に胸が震えた。女優になって舞台に立つなら1度は演じてみたい役柄だ。子供ならヘレンを。大人ならサリバンを。
三重苦のヘレン・ケラー。利発だった彼女は2歳前に猩紅熱で視力と聴力を失った。そして耳が聞こえない事から言葉を発せなくなってしまった。社会通念を知らないヘレンは野獣となった。
そんな苦難の少女がサリバンと出会い、学ぶことを知った。なんとハーバード大学に通い学位を得た初めての盲ろう者となったのだ。その実在の人物達を表現する。こんな光栄な事はない。
社長は微笑んだ。
「開幕は3ヶ月後。劇場は渋谷区下北沢の北斗星座。それまでは練習よ。モネ。頑張りなさい。あなたのサリバンを作り上げるのよ」
・・・
3日後 渋谷区下北沢
役者が決定し、モネは顔合わせで北斗星座にやって来た。責任者の男性が場の中心に立った。年頃は50代半ば。背が高く理知的な瞳。髭が良いアクセントになっている。朗々とした声が響いた。
「皆さん。初めまして。スガシュウヘイ(須賀周平)です。監督で俳優です。この度は名作のヘレン・ケラーを上演することになりました。僕はヘレンの父親役を演じます。宜しく!」
拍手が上がった。スガはニッコリとする。
「では皆さんも自己紹介をどうぞ!」
ヘレン役の7歳の少女が生き生きとアピールした。サリバン役のモネも堂々と挨拶をする。
その後も役者達が自己アピールと意気込みや抱負を語った。誰もがこれから始まる舞台に心を踊らせていたし、緊張感もあった。ヘレン・ケラーを日本人が汚してはならないのだ。
それからは稽古の日々だった。
「タカミザワさん。もっと臨場感を高めて」
監督のスガが稽古をつける。彼は役者達を一貫して姓で呼ぶ。それがポリシーらしい。
「いいですか。ヘレンは子供です。守るべき存在です。しかし野獣なんです。自分の思い通りにならなければ、あなたに暴力を振るいます。噛みついて殴って蹴って暴れるんです」
「はい」
「それが朝から晩まで続けばどうなりますか?」
「さすがに腹が立ちます」
「そう!怒りです!だからあなたも野獣になる!」
そうかと思う。私はまだまだ怒りが足りていないのか。勢い込んでヘレン役の少女の我儘に大声で叱りつける。するとスガは頭を横に振った。
「聞こえない相手に何故怒鳴るのですか」
ヘレン役の少女は懸命にヘレンになろうとする。涙をポロポロと流し、嗚咽を漏らして泣き出した。スガはまた頭を横に振る。
「野獣はシクシクとは泣きませんよ」
モネも少女も、漸くこの舞台の難しさを痛感した。ヘレンの世界は自分達の「普通」が通用しないのだ。脇で固める役者達も必死だった。誰もが文字通り、俳優生命をかけて稽古に励んだ。
スガ自身もヘレンの父親役を演じるにあたり、試行錯誤する。善悪も道徳観念も、生きている意味すら分からない娘。ヘレンは人間にはなれない。ずっと、永遠に…。そうした絶望を表現したいのだ。
モネも必死だったが、サリバンもヘレンも、まだ理解しきれていないもどかしさが彼女を苦しめていた。毎夜、自宅で1人稽古に励んだ。「違う!そうじゃない!」自分自身に怒りをぶつけた。