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アンドロイド転生1196
2127年4月
タカミザワモネの邸宅
三重苦のヘレン・ケラーの舞台で、サリバン役を射止めたモネ。だが自分はサリバンもヘレンを理解出来ていないと悔しくなる。家でも1人で稽古に励んだ。そこにアオイがやって来た。
モネはアオイに協力を仰ぐことにした。
「カー(愛称)!力を貸して!ヘレンになり切って一緒に練習してほしいの!」
前世は女優志望だったアオイは嬉しくなった。
「はい。喜んでお手伝いします。では視力と聴力を失くしてヘレンになりきります」
「え!そんな事が出来るの?」
「はい」
アオイは座り込み、視力と聴力の機能を一時的に停止した。世界が深い闇と静寂に包まれる。不安が胸を締め付ける。まるで、1人海の底に取り残されたようだ。
そこにモネの母親のサクラコと執事アンドロイドのザイゼンがやって来て、興味津々の顔で見つめ始めた。2人がこのような稽古をするのは初めてなのだ。新鮮な気持ちになる。
モネはアオイにそっと囁きかけた。
「カー?聞こえる?」
しかしアオイは虚空を見つめたまま動かない。モネが触れると、ビクッと震え上がった。
モネは悟った。見えない…聞こえない…。そうだよね。囁いたところで伝わる筈がない。それにいきなり触れられたら怖いよね。カーはヘレンだ。私もやる。そう!私はサリバンだ!
「ゼンゼン(愛称)。何か食べ物を持ってきて」
ザイゼンはキッチンに走って行った。戻って来ると、並々とミルクが注がれたシリアルのボウルを差し出した。
モネはアオイの目の前にボウルを持っていく。
「ヘレン、ご飯よ。食べなさい」
アオイは鼻をヒクヒクと動かす。そう。ヘレンには嗅覚がある。だがアオイは顔を背けた。
モネはスプーンをアオイの手に握らせようとするが嫌がって投げ飛ばした。次にボウルを渡してみるが、やはり投げ飛ばされる。中身が床に散乱し、サクラコ達は目を丸くした。
アオイはヘレンになり切った。だから感覚の中で生きている。突然、誰かに身体を触られて混乱する。そしてまた突然、鼻先で食べ物の匂いがする。だが食べたくない。
それなのに誰かは何か(スプーン)を握らせようとするのだ。それも自分の手を無理やりこじ開けて。不快感が募り、怒りがこみ上げてくる。やめろ!やめてくれ!
アオイは唸り声を上げ、歯を剥き出した。まるで獣のようだ。そう、ヘレンはまるで野獣だったのだ。あまりにも幼い時に世界から隔絶されてしまい、善悪や道徳観念を知らないのだ。
そんなヘレンの野獣化に拍車をかけた者がいる。両親だ。娘の運命を嘆き悲しむあまり、ヘレンを甘やかし続けた。望むことは何でも叶え、我儘、癇癪、怒り、不満を放置した。
その結果、母親を独占し、妹の誕生に激しい怒りを覚えた。突然現れた存在に母親を奪われたと思ったのだ。妹を殺してしまうのではないかというほどの攻撃性をヘレンは示した。
幼い頃から社会性を学ばなければ、他人への理解が極端に欠如し、自我を貫き通すようになる。盲ろうで言葉を持たないヘレンは、まさに「本能の赴くまま」に生きていた。
モネにヘレンになりきれと言われたアオイは、野獣のようだった。しかし監督から「お前も野獣になれ」と言われたモネは負けるものかと今度は水の入ったコップをアオイに握らせる。
アオイが拒否しても無理やり手に持たせようとするが、投げ飛ばされる。コップがガラスでなくて幸いだった。こうして2人の激しい攻防が始まった。そして、それは毎晩続いたのだ。