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自己紹介 はじめてのnote
のっけから不幸自慢
昔から、どちらかと言うと外れくじを引くほうだと思う。特にここ数年はひどい。
24の時、当時付き合ってた彼氏と婚約破棄&同棲解消のダブルパンチで、スーツケース片手にアパートを飛び出し深夜の川崎駅を徘徊した。
25の時、パワハラ上司に耐えかねた同僚が軒並み退職し、取り残された私はすべての罵詈雑言を一身に受け、ボロボロになって辞めた。
27で結婚。もういい加減落ち着きたいと思っていたが、2024年はこれまで以上に最悪な1年だった。「フルコンボだドン!」って丸い赤いやつの声が聞こえてきそうなくらい、不幸の連続だった。28って厄年でしたっけ?
1月1日地元に帰省中、大地震発生。幸い家も家族も無事だったが、還暦の親と成人した子どもたちで川の字になって寝た夜の、鳴りやまない救急車のサイレンは今でも耳に残っている。
7月、女医さんの「自然妊娠は難しいですねぇ」の一言から、思いがけず不妊治療開始。薬の副作用に耐え、自分の腹に注射を打ち、上司に何度も頭下げて業務調整して、仕事抜けて往復2時間かけて病院に向かい、何の成果もなく絶望…の繰り返し。不妊治療についてはまた別の機会に書こうと思う。
11月、妊娠発覚。嬉しかった。子どもはこの子だけでいい、大事に大事にしたいと思った。10週まではすくすく大きくなってくれて、心臓が元気に動くのを見て検診の度に感動した。
12月、妊娠3か月。もうすぐ11週に入ろうかという時、お腹の子の病気が発覚した。胎児水腫といって、全身に浮腫みがあるらしい。何千人に1人のくじを引いてしまった。
プロフィール
不幸自慢も飽きてきたと思うので、ここらで簡単に自己紹介を。
出身:某雪国(まつやとり野菜味噌)
在住:首都圏某所(ミッ〇ーマウスの領地)
趣味:ケーキ屋さん巡り。推しパティシエは横浜の安食さんで、ケーキも焼き菓子もシンプルなんだけどすべてワンランク上のおいしさ。安食ロールのコンビニ版がファミマに売ってたからみんなに食べてほしい。(誰目線)
仕事:言語聴覚士
仕事についてもうちょっと詳しく書こうと思う。
「障害児のリハビリ」が仕事
学生時代は、毎年魅力度ランキング最下位争いをしている北関東某県の国立大学にて、障害について学んでいた。
「なんでそんな特殊な学部を選んだの?」ってたまに聞かれるけど、きっかけは中学の時、母親が脳腫瘍になり、手術の後遺症で顔面麻痺と言語障害が残ったこと。
昨日までの母と同一人物であることは分かっているのに、見た目やしゃべり方が普通じゃないだけで母じゃないように思えたあの感覚の、理由が知りたかった。何をもって「普通じゃない」と感じるのか、普通じゃないことを、大多数と異なっていることをどうしてネガティブに捉えてしまうのか、学問的に探究してみたかった。
大学卒業後、言語聴覚士の資格を取るために専門学校に入りなおした。アルバイトを通して障害児の言語習得に興味を持っていたし、母のような後天的な言語障害についても専門的に学べると思ったから。
2年で卒業し、新卒からこれまでずっと地域の療育センターで働いてきた。私が経験した2か所の療育センターでの仕事は大ざっぱに言うと2つ。いろいろな検査をしてお子さんの聴力や言語力を評価することと、評価に応じた助言・指導をすること。難聴や構音障害や吃音、言語理解・表出の遅れなどがある子が対象だった。知的障害や発達障害の子もたくさん見てきたし、重度心身障害児と呼ばれる子を担当したこともある。
だから妊娠する前は漠然と「障害があっても、どんな子でも育てられる」と思っていた。どんなに重い障害がある子も、一生懸命に育てる保護者の方をたくさん見てきたから。大変なことはあっても明るく笑って毎日を過ごす人だって多いって知ってたから。母が障害者になった時も思ったほど日常は変わらなかった。障害がある=不幸だなんて、考えたこともなかった。
でも、自分のお腹にいる子に重篤な障害があるかもしれないとわかった今、私はすごく迷い、悩んでいる。そんな自分に失望している。
これから何を書こうか?
妊娠がわかった頃から、Xやインスタで気持ちを吐き出していた。心拍確認できるか不安、つわりがひどい、仕事を休んでしまった…悩むたびにSNSで似た境遇の人を探して交流していた。共感が安心になった。
でも赤ちゃんに胎児水腫があるとわかってから、今まで交流してきた人たちが突然「あっち側の人間」になってしまった。健康な赤ちゃんを妊娠して、十月十日順調に育って、ちゃんと予定日に出産できるであろう人たち。私とは違う。みんながまぶしく見えた。うらやましかった。どうして私だけ‥。
心の中で汚い感情がドロドロに溶けて重くなっていくのがわかって、苦しかった。自分が嫌になった。毎朝楽しみにしていた赤ちゃんの成長がわかるアプリを、開くことができなくなった。
胎児水腫のことを調べていたら、学術論文よりもSNSのつぶやき(死語?)よりも、アメブロやnoteに綴られている体験談に心を救われた。
モヤモヤを文字で書き出して整理したい気持ちはあるけど、積極的な交流はしたくない。比べちゃってつらいから。あわよくば自分の体験談も、いつか誰かの役に立てると嬉しい。そんなわがままな理由から、noteへの投稿を始めてみた。なんかかっこいいじゃないですかnoteって。
以下のようなことを、書いていけたらいいなと思う。
胎児水腫の経過
不妊治療の経過
出生前診断について障害児療育の専門職として、母として思うこと
妊活とキャリアについて
蝶になる前、さなぎの中はどろどろのスープ状らしい(昔、最高の離婚っていうドラマで瑛太が言ってた)。絶賛液体状の私は果たして羽ばたけるのか。
無事に出産できる未来を一番願っているけれど、そうじゃなくても、このくじが外れなんかじゃなかったと思える日が来ますように。
今のところ読者は自分だけなので、読者様の気持ちを落ち着け、最大限楽しませるような記事を目指す。どうぞよろしく。