老いた人と暮らすことの意味
新年早々、夢に去年なくなった祖父が出てきた。
私が結婚するまで実家で同居していた、癖強おじいちゃんだ。
夢の中は3場面に分かれていて、
介護施設みたいなところで、死期が迫っている祖父。
同じく介護施設みたいなところで、死期が迫っている父。苦しんでいるなか、マジックで床に、「おばあちゃんと一緒に」と書く。
実家で、細長い竹の棒を持ってきて、家の高いところにある戸棚が勝手に開かないように、取手に棒を通して回る祖父と父。
ほんと何かよくわからない夢だけど、(父まで巻き込まれているのが意味わからない)
都合よく解釈したら、おじいちゃん、おばあちゃんに会えたんかなって。
おばあちゃんは、もう20年近く前に亡くなっている。
おじいちゃん、大好きなおばあちゃんにあの世で会えたのなら、ほんとによかったね。
祖父は、家族思いで、働き者、頭の回転も早く、色々なことに気がつく、なんでもよくできる人だった。
反面、人にも厳しく、ぼんくらとしている家族にヤキモキし、思い通りにしようとする人だった。
そんな祖父だから、良い思い出と嫌な思い出とがミックスされて、一言で悲しい、寂しいというのでは、表しきれない複雑な感情で、祖父が亡くなった時も、悲しみに浸ることなく一年を過ごしてきた。
浸っていては生活が立ち行かなくなるから、あえて浸らずにいたとも言える。
豪傑で、クレバーだったおじいちゃん。死ぬ直前まで頭はしっかりしていて、でも体は着々と老いていき、クレバーなまま死んでいった。
最後まで自分の生き方を(良いところも悪いところを)見せてくれると言うところに、年老いた人と暮らすことの大きな意味があるんだろうなぁ。
その人の歴史と共に、善きも悪きも複雑に絡み合っていき、その人の人間味となる。
人間味を全て直視することは、結構大変。
自分の痛みを突かれるようで見たくないこともあるだろう。
めんどくさい、煩わしいとも思う。
だけど、私も30歳も超え、自分の老後、親の老後を考えるようになってきた。
そうすると、祖父が生きてくれ、死んで行った姿は、思い出であり、参考書である。
そして、死んでからも思い出すたび、時々夢に登場ししたりするたびに、自分たちに何かを伝えているように感じる。
そうして、思い出って死んでも、なお更新されるんだなと思う時がある。
人間の最後の発達課題、老いと死。
人生をもってそこへのサポートをしてくれるのが、祖父母であり、親なのかもしれない。