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1歳 はじめての一時保育

明日、一歳の次女が初めて一時保育を利用する。
前夜、子ども達が寝静まった今、心がきゅーと絞られるような寂しさが私を襲っている。

長女が初めて親から離れて園で過ごしたのは、3歳になる前のことだった。
幼稚園のプレクラスでの母子分離。
慣れていた場だったこともあり、特に泣くこともなく、「お母さんいなかったら、お友達と遊んどくわ。」と頼もしい言葉を残し、颯爽と離れていった。

その時も、感慨深さはあったが、赤ちゃんだった次女がいたから、開放感のほうが優っていた。
年齢的にも3歳を目前にし、家だけの生活には飽き足らず、友達を求めるようになっていた。娘の成長段階的に、自然に、家庭から社会へと飛び立っていったなぁというのが感想だった。

それが今、1歳半の次女がバーンと社会に出ようとしている。まさにバーン!である。
保育園自体、行き慣れた場所でも、知っている人でもない。!
長女の時と違って、年齢的に友達を求めている訳でもないし、言葉も生活もまだまだ赤ちゃん。社会に飛び出る準備が整っているとはいえない。
そのような状態で、保育園デビューさせることは、私にとってバーン!だ。どのくらい泣くのか、意外とケロッとしてるのか、やってみないとどう転ぶか分からない博打感がすごい。

ではなぜ、次女が一時保育に行くことになったかというと、このタイミングで、私のやりたい仕事が見つかったからだ。
専業主婦の私には子どもたちが小学校に行く頃には、仕事をしていたいというふんわりとした目標がある。
そのために、急に仕事0から100にするよりは、
まず0から1、
1と子育ての両立、 
そこから、家庭の状況に合わせて、数年単位で仕事の量を増やしていこうという気持ちになったのだ。

子どもの成長に寄り添った選択ではない。
大人の都合に合わせてもらうのだ。
それが分かってるから、園で過ごす時間が子どもにとっていい経験にやってほしい、刺激になってほしいと、切に願うしかないのだ。

でも、私は知っている。
子どもが園に行き、子どもがいない時間を経験すると、すぐにその身軽さに慣れてしまうのだ。
いい意味でも悪い意味でも。
長女が幼稚園に入った時も、半日1人の時間があるだけで、感動し、感謝していたけれど、今では、そのありがたみも薄れ、日常としてあっという間に過ぎて行く。

だからこそ、今日のこの寂しさをしっかり覚えていたい。
明日は絶対今日とは違う気持ちになっている。
そう思って、ただただ今の気持ちを書き殴るのだ。


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