私が闘う見えない何か
最近の私は、見えない何かと闘っている。
昔は
何かのため、でないと頑張れなかった。
彼氏にもっと可愛いと思われたいから
彼氏が好きな服を着る。
太っていると思われたくないから
ダイエットをする。
その活力は相当なもので、
相手のために努力をする
というよりも、
相手に良く見られようと
"闘っている"まであった。
このように、
最近の私は見えない何かと闘っている。
なぜだろう、
誰かのために頑張るという
この"誰か"もいないから
闘う相手はいないはずなのに。
ビジネス本でよく
「人のための活力は、
自分のためのそれよりも強い」
という考えを目にする。
もちろん間違ってはいないだろう。
誰かのため、何かのために精進することによって
社会がより良い方向に動いていくのは事実だ。
そう考えると、
誰かのために行動する、というのは
社会的にも正しい行動だろう。
だが、最近の私は
自身の行動を何のためにしているのか、
と考えたとき
矛先は全て"自分"につながる。
自分の幸福度を上げたいから
仕事を頑張る。
罪悪感なくお酒を飲みたいから
ランニングをする。
(仕事に関しては
もちろんお客様のため、と志を持って
日々行動しているが、
仕事を人生の一部分として見たとき、
それは何のためにしているのかというと
最終的に私は自分の幸福度を上げるため、
につながる。)
お風呂上がりに
鏡で自分の顔、体型を見て
昨日の自分と比較する。
そこで気づいた。
私が戦っている見えない何か、は
自分自身なんだ。
自分を鏡で見ることはできるが、
目で自分全体を
直接見ることはできない。
写真や動画で外見を客観視することはできるが、それはあくまでも
フィルターを通して見るものであって、
直接目で見ているものではない。
だから私は
見えない何か、と闘っているように
感じていたのだ。
闘っている相手は
一番近くにいる"自分"だったのに。
わたし、
自分のために頑張れるようになったんだ。
気づいた時、どこか喜びを感じた。
誰のことよりも自分を一番大事にしていよう。
もっと自分と向き合おう。
そう感じた、ある夜のお話であった。