あと1年だけ、がそろそろ終わる
「れんね、カリカリが食べられなくなっちゃったの。」
電話口で母がぽつりと言った。年末、いつ実家に帰るかを決めるためにかけた電話だった。
れん、とは実家で飼っているトイプードルだ。3月生まれの15歳で、老いた彼を「おじいわん」と呼んでいる。もう、片目が見えなくなってしまったことは聞いていた。生き物を飼う人に説明は不要だろうが、いわゆる「カリカリ」とはペット用フードのことで、多くの犬猫がこれを与えられているが、噛む力や歯が衰えてきた老犬にはやや食べづらいのだろう。聞けば「半生」という、カリカリほど固くなくしっとりとした食感のフードを食べているという。
年明け、おじいわんに会った。おじいわんは私が帰ってきたことに気づかなかったらしく、しばらく寝たままだった。「最近は気づかないことの方が多いね」と母。
そして、腰を曲げ、ふわふわトボトボと歩く。1mmほど宙から浮いているように見えるのは、おそらく体重自体も軽くなったようで、どっしりと大地を踏みしめて歩いている感じがしなくなったからだろう。もともと3kgに満たないスリムな犬だったが、若い頃はトレーニングのような長時間散歩を重ねていたから、下半身はしっかりと筋肉が付いていたはずだった。
活動時間も短いのか、少しするとぐっすりと眠ってしまう。成犬の頃は怒りっぽく「誇り高き」性格だった彼が、溶けそうなほどリラックスしている。
「赤ちゃんみたい」とつぶやくと、「そうなの〜、れん赤ちゃんみたいなの!」ととろけそうな声で母が言う。彼女は、私がまだれんの老いにうろたえている中、すでに覚悟を決めた上で彼のかわいさを最大限味わっている。この時ほど母の強さを感じたことはなかった。
「今年は毎月帰ってこようかな〜」と、おどけた口調で、今度は母ではなく父に言った。一番れんの介護をしているのは母だ。
「そんな、大げさなぁ」という言葉をまだ期待していた私に間髪入れずに返ってきたのは「うん、それがいいと思う」という言葉だった。
父とは関係が難しかった時期があり、1年半ほど帰っていなかった。電車で1時間少しの距離だというのに、だ。実家を離れて生活していると、前回帰ってから随分日が経っていても気付かないこともある。母と父を見ていても、ほぼ実家ーーつまり私の祖父母の家に帰っているのを見ない。
後悔しないためにーーあと1年、毎月会いにくるよと胸に決めたのだった。
****
春になり食欲が増してきたのか、少し元気になったれん。夏を乗り越える最中、もう片方の目の視力も失ったらしい。そして家のなんてことない隙間に自らつっこみ、身動きがとれなくなったところをよく母に救出されている(すぐ助けてやればいいものを、写真に収めて「今日のじじれん」として娘たちに送ってくる)。
あと1年、とあの時思ったのは、もう1年しか彼に会えないと思ったからだ。この冬を乗り越えてくれるかはわからない。あとひと月でも何年でも、必ず月に一度は帰る。
「老犬、最高だよね〜」
「老犬、超かわいいよね」毎回母が言う。
昔は触られるのを嫌がってウーウー威嚇していたのに、今はポケーっと惚けて肉球を触らせてくれる。ほぼ散歩もしないので、それこそ赤ちゃんの足の裏のようなムチムチさ。
母に強がっている様子はない。心から老犬の彼がかわいいのだ。そしてそれは私たちも同じだ。何もできない赤ん坊のころから、れんのことが大好きだった。気難しく怒りっぽい、でも優しい彼の成犬時代も、とんでもないかわいさだった。そしていま、輪郭のふわふわした老犬の彼は犬生で一番愛おしい。
そろそろ「毎月帰省」を決めてから1年経つ。
趣味や仕事に毎日慌ただしい生活の中では、1ヶ月という期間は思った以上に短い。そしてきっと毎日会いに行っても、後悔しないなんてことはないだろう。
その日はきっと突然だろう。言葉も通じない彼には、私が会いに来ていることすら伝わっていないかもしれない。
それでもいい。今月もまた会いに行くからね。