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私は私に期待していないから

ここ1ヶ月ほどで私を取り巻く状況が大きく変わり、現在必死に就活している。もう2社落ちた。

起こった出来事があまりのことで、正直久々に死にたくなったのだが、今は不思議と落ち着いている。
最初の数日間は呆然として、母親や友達に事の顛末を話してはぐちゃぐちゃに泣いた。
私は本当に馬鹿で、碌でなしで、愚かだったのだと悔しさに泣いた。
大学を卒業してからのこの1年半を実に無駄にしてしまった。1年半あったら何でもできたのに、と過去の自分の甘えを呪っている。

詳しいことが書けないので、脈絡もなく大変意味不明な文章になっていると思う。申し訳ない。

ただ、とにかく私は私の愚かさに首を締められている。
本当に碌でもない理由だ。本当に。

でも今は、死にたいだとか、消えたいだとか、そんなことは考えていない。確実に人生のドン底にいるのにも関わらず。
私は私に期待しなくなった。
自分が本物の大馬鹿者だと知れたからだ。そんな人間に期待できるはずもない。
こんな時期に、新卒でも第二新卒でもなければ社会人未経験の学もない小娘が就職しようだなんて土台無理な話だ。だから何度面接に落ちようが絶望したりもしない。まあこんなものだ、私などは。
それが良いのか悪いのかは微妙なところだけれども。

1ヶ月前の私だったら、不採用になる度に人格まで否定された気になって病んでいたと思う。まさにそれが怖くて就活してこなかったのだから、ある意味では良かったのかもしれない。
ショッキングな出来事に見舞われて、私は以前より更に人生がどうでもよくなった。今は、両親にかけている迷惑や心配の負債を返したいからという理由で生きていて、それが叶ったらもう死んでもいい。
もう死んでもいいけれど、1ヶ月前の事件より死にたいと思うほどの事が起こるとは考えられないし、結局偶然でない限り死なないとは思う。

私は強くなったと思っているが、実際どうなのか少し不安になってきた。今はまだ、折れてはいけないから折れていないだけで、心置きなく折れていいと言われたら粉砕骨折並みに粉々になるのかもしれない。
正直、どうにかご飯を食べていくためには落ち込んでもいられなくて、そんな暇がないだけと言えばそうなのかもしれない。
母親や友人はいつにも増して心配してくれるようになり、私はそれがとても心苦しく、そして同時にそんな態度を少し不思議にも感じていたが、たぶん私が思っている以上に私の置かれている状況は異常なのだろうと今ふと思った。
私は、いまは過去のことをシャットアウトして前だけを見ていないといけないから、分からないのだ。
いつか振り返って絶望する時が来るのかもしれない。
誰にも迷惑をかけていないと思う瞬間が来たら、私はまた些細なきっかけで死のうと思うのかもしれない。

たとえ本当にそうなっても、私は自分を許したい。
期待しないから、情けない挫け方をしても、誰の役に立たなくても、未来の私を許したい。









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