山月記(Grand Family Orchestra) 本の扱いと性格
↑書き足りなかったので追記です。
最近、まあまあグサリときた一言なんですが
「本の扱いって性格でると思う」
という指摘。なぜ、この一言が出てきたかというと私ははっきり上限を決めてはいませんが一定数になったら、ある時本を大量に捨ててしまう派なんですが(どんな派閥だ)、やりとりをしていた方は本は捨てない派だそうです。というやり取りからの一言です。
その事が人間関係に関するとある私の出来事とリンクしてまあまあ、グサグサと……まあまあどころじゃないですね(笑)。スパッと斬りつけられた感。
傷ついた訳ではないですが、「そうだったんかぁーー!」って感じです。
でもいいんです、そのとき感じた感情や感動は心の中の図書館にそっとしまってあるので、本がなくても心の中でページをめくることが……できるわけもなく、度々買い戻してます。2回買われてこそ、本当の愛読書ってもんですよ!(無理やり)
縁があったらまた会うだろうという謎の自信もあるんですけどね。捨てても大丈夫というか。そして、まあまあ再会したりするのでやっぱりそれでもいいかなって思っています。本も、人も。
と言うわけで、皆さん「袋とじ」ってどうやって開けますか?山月記の歌詞に出てくる
”同じナイフがギラリ 袋とじの未来を裂いて”
という部分をきいて、「やっぱりこの子ってどこかしら上品だなぁ」と。ちょっとした言葉の選び方が丁寧なんじゃないかなと。「育ちがいい」というんでしょうか。なぜかというとですね、
私は袋とじは手で破っちゃいます
え?破く人いますよね?みんなナイフで開けてる?いるよね?いると言って(泣)。……画面越しにそこはかとなく引いているのを感じながら書き続けるんですが、
だって、中身大したことないじゃん!もったいぶってないで読ませろ、おらぁ!えぇい!ビリビリビリ!(雑)
って気分になっちゃうんですよね、袋とじ。ああ、もう私の私の未来への思いが如実に現れた行動のようでだんだん寂しくなってきました(笑)
そういうところだよなぁ……
としみじみ反省した成人式の朝。