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最後の医者は桜を見上げて君を想う
「最後の医者は桜を見上げて君を想う(原作:二宮敦人先生)」コミカライズ連載中https://t.co/3ceWXG2qzG
— 八川キュウ (@tamagonotenpura) October 3, 2019
1話無料で読めます→https://t.co/EowfI5efrX
1巻→https://t.co/cRuhPVj1no
2巻→https://t.co/3GbGU0JD0R
原作→https://t.co/2cW4CXQHS8 pic.twitter.com/QRsGRjFE5y
漫画版を読んで面白すぎて、原作も読みました。
こちらは、死生観を取り扱った作品の新しいスタンダードになるんじゃないかということと、「家族会議」「医師による嘱託殺人事件」等で湧き上がる色々な方の終末期医療に対する考えや意見を目にする度に細かくついた私の心が癒えた本です。
取材だけでこれだけ丁寧に想像し描いたのであれば、すごいなと思います。
小説版のほうはリアルにその治療が描かれているので闘病中の方や闘病終了間もない方は辛いかもしれないです。漫画のほうは、原作を損なわない範囲で医療的な説明を省き気持ちの動きを視覚的に丁寧に描写しています。さらりとしたタッチの絵柄が、小説のリアルさを物語として受け入れやすくし、辛さを和らげつつも心に響く仕上がりになっているので、リアルな描写がまだ辛く感じる方はマンガ版をお勧めします。
調べたら小説は2016年の作品なんですね。
医療物は書かれた年代を必ずチェックした方がいい
と、先に書いておきます。なぜなら医学はものすごいスピードで進化しており画期的な薬の開発とまではいかなくても、それはもう丁寧に細かくエビデンスが発表され、治療のスタンダードも変わってゆきます。例えば、投薬の順番・期間・副作用への対応など。
そして、それらに応じて患者やその周辺の悩みも変わってゆくものであるものだと思います。
また、個人差も大きく同じ病気でも治療法が違ったり、年代や病状に合わせ細かくカスタマイズされています。よくある勘違いとして「がんはどの部位のがんでも同じ」というものなんですが、がんとはその部位の細胞の変化なので例えば胃がんであったら胃の細胞、大腸がんであったら大腸の細胞の変異であって別物です。抗がん剤もその種類は多岐にわたり、また、組み合わせや順序も多数あり、それらをがんの種類や患者の病状、年代、体調にあわせて使っていきます。
なので、こちらの作品は2016年の作品であるということ、作品中の登場人物の病気であるということを頭に置いたうえで読んでいただければなあと思います。
この注釈は、優れた漫画や小説は時としてイメトレ同様頭に強く残るので、あなたが実際に病気になった時に無駄に傷ついたり怯えたりしないように、あなたの大事な人を無駄に傷つけないようにとの願いからです。
医療漫画における死生観の取り扱いの変化
漫画版を先に読んだので、漫画を例に書きますが私の中でインパクトのあった医療漫画は
ブラックジャック 手塚治虫 連載期間1973年~1978年
ブラックジャックによろしく 佐藤 秀峰 連載期間2002~2006年
こちらの2つです。どちらも、そして「最後の医者は桜を見上げて君を想う」も、2人の対照的な医者が登場します。病気を治そうとする医者と、無理な治療はしない医者です。ですが、そのテーマともなるべき部分が微妙に変わってきているのです。
手塚治虫のブラックジャックは「医師と病気」について医師の病気への立ち向かい方がメインで描かれています。登場する病気のほとんどが不治の病という印象があるので、具体的にどのエピソードとはあげられないのですが、医療の限界への葛藤が描かれています。
佐藤秀峰の「ブラックジャックによろしく」は、特に8巻(保存版だと5巻)、末期がんの母親が登場するエピソードがあるのでこちらについてになんですが、ここで一つ、大きなテーマとなっているのは「告知」です。「医者と病気」というテーマの他に「医者と患者」というテーマが登場します。
そして「最後の医者は桜を見上げて君を想う」では、「患者と生活」というテーマが登場します。というか、「患者の人生」でしょうか。
これだけでも医療の進歩と、その進歩によって私たちの悩みも変わってゆくものだということをお分かりいただけるかなと思います。例えば、現代ではがんの告知は大きな物語になりません。なぜなら告知がスタンダードなので。それは単純なスタートにすぎないのです。
変化するドクターキリコ的医者
ドクターキリコ的医者もまた、年代によって変化していきます。
「ブラックジャック」では投薬で患者を死なせることが救いとして描かれており(犯罪です)、「ブラックジャックによろしく」では積極的に治療をしないこと、緩和ケアが救いとして描かれています。「最後の医者は桜を見上げて君を想う」での桐子は相談に乗るだけです。この点が非常に新しいなと思うと同時に非常に酷でもあるし、辛さでもあると思うのです。
一つ目のエピソード「ある会社員の死」
こちらで描かれるその辛さは秀逸で、がんを宣告されて以来ベルトコンベア式に治療が進む状況に苦しむ患者浜山にこの様に語らせています。
一思いに命を刈り取ればいいんだ。それをなんだ。いくつも選択肢を残し、治療法に確率なんてものを用意しやがった。死がまるで、俺の選択による結果であるかのように装飾していやがる。わかるか? おかげで俺は眠れない……どんだけ考えたって、答えが出ないから!
それに対するドクターキリコ的医師である桐子はこう諭します。
浜山さんを工業製品のように扱っているのは、我々医者ではありません。あなた自身なんです。
あなたが、人間であることを思い出さなければ、病院という場所では工業製品に成り下がってしまうんですよ。
そうして、この会社員浜山は「自分の決断とは」と悩みぬいて決断をするのです。
こちらのエピソードは、私も子供が小さいときに病気がわかったので特に共感できるというか、リアルに当時の感情が思い出されました。特に、小説版の方で夫婦であっても気持ちがすれ違い、それぞれに孤独になってしまうくだりはリアルで一読の価値有りです。
こういときは、それぞれがそれぞれの孤独と向き合うしかないんですよね。
患者の決断の描写における変化
このような病気の末期を描いた作品は、「積極的に治療をする」「積極的な治療はしない」という2つで語られることが多く、そしてそれぞれの決断をしたことについて「負けたくない」「無理に闘いたくない」との理由が付されることが多いように感じていました。それらは、有無も言わさず治療が開始されていた時代への疑問からの流れなんだろうと思います。
ですが、積極的に治療をすることは病気と闘ったという美談なのでしょうか。
積極的に治療をしないことは自然を受け入れたという美談なのでしょうか。
第3の医者の登場と2つ目のエピソード「ある大学生の死」
2つ目のエピソードから、第3の医者である音山が存在感を増してゆきます。こちらのキャラクター、話を回していく役割なのかと思っていたらそうではなく非常に重要な役回りでした。
音山は、2番目のエピソードである大学生のASL患者との関わりから、「患者と向き合うということは」という点について患者を通して見つめます。
そして考え方の違う2人の医者に「自分がASLだったらどうするか」と尋ね、それぞれ「延命をする」「延命はしない」との意見を聞くことになるのです。この語り口は、例えば終末期の生き方を問う人気作品や事件が起きた時にSNSなどでよく見られます。
そうした意見を目にする度に、私は細かく傷ついてきたのですが、同時に、なぜ私が傷つくのかも疑問でした。
それは、病気を経験したことがない人への羨望と嫉妬でしょうか。病気を患ってしまった事への自責の念でしょうか。そんなような気もするし、そうじゃないような気もする。でも確かにあるこの違和感はなんだろう。
2人の意見は正しい。反論もできないだろう。だが、悩んでいる人には辛すぎる。
これは2人の医者の意見を聞いての音山の言葉ですが、多分私もこの一言を感じていたのだと思います。
「ある会社員の死」と「ある大学生の死」における決断
一つ目のエピソードで白血病を患った会社員は積極的な治療を、二つ目のエピソードでASLを患った大学生は呼吸器をつけない選択をそれぞれすることになります。
これまでの医療の物語ならば「病に負けない」「病と闘わない」美談として描かれてきたであろうこのエピソードだったのではないかと思います。
がしかし、こちらの作品では2人とも最後まで生きるための選択をする姿が描かれています。劇的な場面もなく淡々と時間は過ぎ病状は悪化し、エピソードの主人公達はギリギリまで悩みます。その中で自分が「何を大事に生きてきたのか」に気づく場面があり、その場面の描かれ方がとても素敵だなと思いました。
特に漫画版での会社員のエピソードにおける「自分が人生で何を大事にしていたか」に気づくシーンの描き方が秀逸なので、これはぜひマンガのページをめくってほしいです。
エピソードとしては普通なのですが、この場面を読んで「ああ、そうだった。私もちゃんと自分の選択をして生きてきているんだ。」と改めて思いました。
3つ目のエピソード「ある医者の死」
これら2つのエピソードをふまえて3つ目のエピソードで締めくくられるこちらの作品。いわば、まとめともいえこのエピソードは、これからの終末期の描かれ方としてスタンダードになるんじゃないかなと思います。
ただ、こういった作品を読んだあとに「自分ならこうする」とある種のイメージトレーニングをしてしまうと思うのですが、もう一度書きます。
医学は進歩していて、今のエビデンスは数年前に開始された治療を元に研究されたもので、最前線で治療に当たっている医者の意見というのは、最前線で感じる肌感覚のようなものもあると私は思います。なので、色々考えるのは良いことだし「現時点」での考えがあるのは良いことだと思いますが、その時が来たら何度でも何度でも考えてほしいなと思います。
この作品が今までの二極化で語られがちな終末期のドラマを塗り替える存在になるのではないかと思います。そしていずれはこの作品の語り口も塗り替えられるであろう未来がきっとくるんじゃないかと、それはきっと、更なる医学の進歩によって。そんな希望を感じた作品でした。
私も、もし再発したらまた何度も何度も悩もうと思います。
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