消えゆく言葉と喪失の歌① ジンジャー姉妹がカバーする白日(King Gnu)
青森県南地方の方言である南部弁で色々な歌をカバーするユニットジンジャー姉妹。この方たちのカバーの中でも「これは…(白目)」となってしまったのがこちら
King Gnuの白日。
こんなにも切なく美しい「けろじゃ」(2分48秒)は宮沢賢治の「あめゆじゅとってちてけんじゃ」(永訣の朝)以来ではなかろうか。
そしてリズミカルな「ねっぱらがって」(1分13秒)。こちらの意味は「ネバネバして」の様な意味です。蜘蛛の糸がひっつくような。本来の歌詞「へばりついて離れない」がより一層重苦しく苦く嫌な響きを持って(南部弁話者およびねっぱる使用地域民には)響きます。
元の楽曲のすばらしさもさることながら、このリズムにあてはめたセンスがすごい。しっくりきています。
本家の動画と秒数がほぼ同じなのでぜひ、双方聞き比べてほしい。
白日(King Gnu)
取り返しのつかない何かが起きたときに、それでもその後の人生は続いていく。損なってしまった物はもう戻らない。何も起きなかった、なかった頃に戻ってやり直したいと思うほど心はその時に囚われたまま。かろうじて首の皮一枚で現在に心があるようなそんな状態。
降りしきる雪を見ながら今日だけはなにもかもなかったことに、なにも感じずにいたい。
という歌だと思っています。
喪失からの立ち直りについては上の記事にも書いているのですが白日はもう少し渦中にいるような、とても辛い歌に聞こえます。
「失ってからのそれから」って八戸を連想してしてしまうのですが、ジンジャー姉妹のカバーでよりいっそう八戸らしい仕上がりに。
怒涛の南部弁語尾ラッシュ
注目していただきたいのは55秒からの語尾。
へってらんねっきゃ
覚えていぁんすが
吹くごった
上から順に
言ってられないよね
覚えていますか
吹くだろう
に該当します。
「だっきゃ」と「ごった」はよく使われている南部弁です。「きゃ(だっきゃ)」」は「だよね」。「だごった」は「だろうよ」といったニュアンスになります。
が「ぃあんすが」というのは恐らく絶滅の危機に瀕している方言です。私は使いません。
ですがこちらの言葉は実に南部弁らしい南部弁なのです。
と、書いていたら長くなってきたので続きはこちら!