true colorsを聞いて「真実の姿」についてと「「走れメロス」が生まれたきっかけって実はさ」ってニヤニヤしながら太宰ファンの私に言う人について考えた
true colors
シンディ・ローパーの名曲なんですが、「あなたはあなたのままで素晴らしい」と歌うのに、切ないメロディという点が現実の難しさを感じさせてシビアで良い歌だなって思います。
シンディローパーだとGirls Just Want To Have Funのように歌ってもおかしくはないなと思うんですが。
Girls Just Want To Have Funも「女の子の色々なめんどうくさいあれやこれやあるけど、そんなもんくそくらえでやりたいことやって良くない?だって楽しいことが好きなんだもーん。」って歌で、「そのままでいいんだよ」というエールを感じるのですが、ture colorsはシリアスな感じなんですよね。
私はこの動画が好きです。「don't be afraid」で動画を終わらせているのわざとなのかな。かっこいいです。
colors
日本語には「十人十色」という言葉があるので「色」というと「個性」という意味合いも自然に感じるのですが、英語だと「color」が色彩を表していて「colors」だと「国籍」「国旗」「内面性」という感じになるのですね。
この歌について、ざっくり「あなたはそのままで素晴らしい」という理解をしていたのですが、「そのまま」ってどんな状態なんでしょう。「ture」ってどの部分なんでしょう。という事について。
で、調べたところこのような例文を見つけまして、なるほど「私はあなたの真価を知っているよ」という事なのかなと。
「本当の姿を見せることを怖がらないで」と訳すと、ちょっといらないカミングアウトを強要しているようにも感じるのですが「真価を発揮することを怖がらなくていいんだよ」というニュアンスだと納得できるのですが、どうでしょう?有識者の皆さん。英語が苦手な私にご教授ください。
本当の姿って
「本当の姿」というと、人の行動は氷山の一角的に水面下に9割があって云々ってフロイトでしたっけ?そんな感じのイメージを持つかと思うのですが、でも私は9割水面下にあって紆余曲折の果てに表層にあらわれた1割を私が見ているのであれば、水面下の9割は別に私が見る必要はないのでは?といつも思うのです。(カウンセリングとかはまた別の話で)
私にみせてくれている一面をみて、私が感動したとするならば、それが私とその人との間の真実ということで。
というのと仮に表と裏があったとしても、だからと言って裏の面ばかりに焦点を当てるのもまたちがうと思うんですよね。それは元アナウンサーの小林麻央さんが
と書いていたように、他から見えていない部分だけが正解かというとそれもまたやはり違うと思います。小林麻央さんって本当に聡明な方なんだなぁってこの文章を読んで思いました。
というわけで、言いたくないことはいわなくていいし、見せたい部分を見せてくれればいいし、そして私が見ている一面からだけでもあなたの良さは伝わるので、本当にそのままで大丈夫ですよって思います。
like a rainbow
そこで、「like a rainbow」なんですが、美しさの例えとしてだけで「虹」なんでしょうか。
私はそうではなくて、人の持つ多面性について丸っと美しいよという事なのかなと。何か一つ真実の色があるわけではなく、いろんな色があることが当然で。
青空も夕日も朝焼けも虹も、全部違う色だけれども全部きれいですもんね。虹って光をプリズムで分けているのであって、虹の中には夕焼けも青空も全部入っていて、だからこそ美しいのではと。
そして、虹を見なくとも青空に励まされることもあるし夕日に涙することもあるし。
というわけで、私はこの歌を「あなたの色々な面はそのままで大丈夫だし、あなたの真価はきちんと届いているので、大丈夫ですよ」って感じなのかなって勝手に思ってます。
「走れメロス」を思いついたきっかけって実はさ
て、お話ご存じでしょうか。全然話が変わりますが。
【太宰治とんでもエピソード】「熱海事件」とは?『走れメロス』のきっかけの実話 - ブックオフオンラインコラム (bookoffonline.co.jp)
これはこれでトリビアとしては面白いし、そのエピソードからあの文章が生まれたのだとしたらそれはやはりすごいなとは思います。
が、この話を、私が「太宰が好き」というとニヤニヤして
「走れメロスが生まれたきっかけのエピソードって知ってる?」
って言ってくる人については、鼻白むし無粋だしダサいし浅薄だし品性に欠けるし、何より
「好きって言ってるやつの気分に水を差してやろうニヤニヤ」
という悪意を感じるので好きではありません。
そういった話を聞いて私がショックをうけるとしたら、その話を伝えてきた人の悪意にショックを受けるのであって、そのエピソードから私が太宰の作品を嫌いになることもないのです。
そして、多分私はいろんな話をきいたとしても、例えば太宰が私の近くにいたら一緒に水に入ると思います。好きってそういう事です。
なんてのは言いすぎですが。水は冷たいのであまり入りたくないですし、ここまで語っておいて「走れメロス」は特段好きな作品でもなかったりするのですが。(文章は大好きです。)
まとめ
というわけで、シンディ・ローパーの歌から色々考えたのですが、要するに私は私の中の「好き」を大事にしていいし、それは誰に侵されて良いものでもないし、誰かの「好き」も同様に大事にされるべきものだろうと思います。