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「好き」でい続けることについて【米徳優里恵】

「好きな〇〇はなんですか」というのはよく自己紹介タイムとかで問われることです。あと、好きな何かの話はまだ知り合いたてでこれから仲良くなっといた方がいい人との会話の糸口にもなります。ここから会話を広げるためには、その好きな何かの「どういうところ」が好きなのか、好きな側が語れないといけない気がしています。そうでないと、相手も口下手な場合、

「▲▲▲が好きなんです」
「へぇー(なんだろう、よく知らないなぁ…)」
「・・・」
「・・・」

で終わるし、口上手な人だったとしても、

「▲▲▲が好きなんです」
「へー!どういうのなんですか???」
「あーっと、丸っぽくてなんかいい大きさで、あると落ち着くというか、感覚的に、、今ちょうどよくすっぽりはまる感じで。。。」
「あ、そうなんですねー(よくわかんないな笑)」
「はい・・・」
「・・・(次何話そう)」

と相手の負担を増やしてしまいます。
私は普段、こうやって会話の相手の負担増やしがちだなと、反省することがあります。だから好きなものの話は基本苦手です。
語れるようになるまでに、私にはそれを「好き」でい続けたそれなりの時間が必要で、24歳の今時点で、語れと言われて語れるのは猫くらいかもしれません。いや、猫も自分ちの猫に限られます。いろんな猫の種類を知っているわけではないので、語れるかと言われればそうではないかもしれません。でも、話していて「好き」という思いが表に出るくらいには猫のことは長く好きでい続けてきたように思います。しかもこれからも好きでい続けられるように思っています。

あー、そうか、別に、「語れる」ということが「好き」の証明になるわけではないのかもしれないですね。好きな感じが溢れるくらいに、自分の中に「好き」が溜まれば。もう消えないくらいに自分に「好き」が染み付いてしまえば。

染み付いた「好き」に私は安心を感じます。どこにいってもどんな状況になっても、変わらない自分の部分として認識できるからかもしれません。
染み付いていない「好き」には、いつか消えてしまうんじゃないかという不安を感じます。自分の変化として「消える」という変化は特別怖いです。何かが消えた後には、喪失感、どうしようもない無力感が起きます。いつか別の何かで埋まるにしても、完全には埋まらないし、埋め直した場所は少し脆い。

「好き」について、染みのイメージを持っていることが、書きながらわかってきました。好きは液体らしいです。私の中で。しかも私の中の人は布でできていて、「好き」はスポイトで一滴一滴垂らされていく感じっぽいです。「消える」とは、染み付き始めた場所が破り取られることで、後で別の端切れを縫い付けられるイメージです。私のはこんなんですが、みなさんの「好き」はどういうイメージですか。気になります。

久しぶりに書いた気がすると思ったら、なんと前回は2ヶ月前でした。
前回の投稿日に出会った猫の写真があったので載せます。


次はよっしーくんの回です。
お楽しみに。


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