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日記を書き始めて感じた3つのこと

2024/05/30追記

Youtubeでたまたま見たこちらの動画の内容に、
自分の中で言語化したこの記事の内容と似ていたので、
我流と思っていたことに、根拠のようなものを得られたようで、少し嬉しくなりました。

きっかけ

2020年の11月30日頃から日記を書き始めました。元々家計簿というか小遣い帳のようなものを学生時代につけ始めました。自分の支出を書き出すと、お金の使い方を考えるようになりました。
その経験から、日記も書いてみようと思ったのです。日記を通して、多くの学びを得ることができました。今回は3つの学びを紹介いたします。

結論

日記を書き始めてからというもの、下記の3点をひしひしと感じております。

  • 記録が達成感に変わる。

  • 達成感が自己肯定感に変わる。

  • 振り返ることが人生である。

結論は書いたので、それぞれの背景をつらつらと書いていきます。
それではどうぞよろしくです。

自己紹介

お前は誰だ?という方向けに自己紹介のページを用意しています。もし興味を抱いたら覗いて見てください。

記録が達成感に変わる。

一歩一歩は苦しいんだ。だけどいつかは頂上に着く

黒澤明

日記は感情の記録という立ち位置で毎日つけています。感情はすぐに忘れてしまうものなので、その日の出来事と感情を記録しています。しかし自分はものぐさなので、頑張って日記を書いたりはしません。書くことがない日、正確には思い出せなかったり、書くのが億劫なだけなのですが、 書かない日があってもよいのです。あくまで続けることが大切なのです。

続けることが大事なのは、小学校でも「継続は力なり」という標語とともに習うことですが、まさにその通りだと感じています。頭ではわかっているけれど、ついついだらけてしまう日があるのも事実。そんな日があることは想定済みですね。なので、日記の目的は「感情の記録」、運用方針は「低空飛行」と決めました。

例え一行でも良いので、毎日書き続けること。
それだけを目的に日記を続けてみようと始めました。人に見せるわけでもなく、後で見返すわけでもなく、ただ続けること。つまらなければ年始にはやめてもよい、と。
日記を書き始めた当初は、その程度のモチベーションでした。

自分がものぐさであることは自覚しているので、ものぐさを受け入れた上で継続するようにハードルは地面スレスレまで下げて運用しています。
三日坊主の対策は、三日坊主を受け入れること。
始めた当初は、「今日は書くことがないです。」などと書いていた時期もあります。時には翌日に二日分まとめて書くこともありました。

書き始めた頃は、上記の分量程度でも十分と感じて、毎日書いていました。

相変わらずの低空飛行で、3日間、1週間、2週間と続けていきました。
この辺りで、書く分量が増えてきました。楽しく感じてきたのでしょう。
たかが一週間前であっても日記を振り返った際には、達成感を覚えることができます。
達成感を覚えたタイミングで、日記を書くことが楽しくなってきました。

日記を書くこと。
白い紙が文字で埋め尽くされていきます。
1週間書くと、日曜日から土曜日までの7日分の空白が埋まります。
4週間書き終えると、月が変わります。

何度か月が変わって、気づけば2021年の年末です。最初に買った日記は自分の感情で埋め尽くされました。2022年も書き続け今では2023年。
ものぐさが日記を書き続けられたのは、ひとえに7日分の空白を埋め、小さな達成感を求め続けたからです。

ちなみに最近では、感情以外も記録したいと感じて、体温や体重なども記録しています。

達成感が自己肯定感に変わる。

「自信ある我流は、確信なき正統派にまさる」

アーノルド・パーマー

小さな達成感が自己肯定感となります。
日記を通して、記録を続けると、達成感を覚えます。この達成感が自己肯定感が沸き起こります。自信を失うことがあっても、ふと、日記に目をやると、過去の自分がそこにはいます。そして、自分はこんなにいろいろなことを経験してきたのか。と思い起こすことができます。

日記を続けている継続で1ポイント、日記で切り取られた過去の記録から今現在への成長を実感してさらに1ポイントと、2回味わうことができるのも日記の効用だと思います。

日々の10分が、未来の自分への自信へとつながるのです。

振り返ることが人生である。

ゴール間際で振り返るってのはあるよね。それが人生だって。

北野武
https://www.sapporobeer.jp/news_release/0000007687/

日記をつけて過去を振り返ったときに人生や成長を実感します。
後から振り返った時に、あの瞬間に成功したと感じる経験であっても、その渦中にいる時にはなかなか成長を実感できないものです。
だからこそ日記は、続けることに意味がある。

自分という人間はやってる最中には、なかなか進歩を感じられないのです。進歩を感じるために記録を目に見える形でつけておく。そして後で見返す。
後になって見返すことができないと、人間の特性「忘却」によって結果から自己肯定感を紡ぎ出すことが出来ません。

一歩一歩を積み重ねている時には、進捗を感じられずにただ面倒なだけ。努力が実を結んで成功して成果を眺めても、なんだか実感が湧かない。その乖離を埋めるものが、進捗の過程であり、日々の感情の記録。これが感情の記録、日記だと感じています。

結びの言葉

以上で、自分が日記を書きつづけて感じた3つの学びです。
誰かの参考になれば幸いです。

再会のゆびきり

今後もnoteでこのような備忘録を発信しています。興味があったらご覧ください。
技術の話はQiitaにまとめています。
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Sempleのアイデア帳
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オマケの話。

「日記を書いている」と話すと、たいていの場合に、マメな性格だといった評されることが多いです。しかし自分自身そんなことはありません。むしろ自分では、ものぐさだと思っています。過去にはものぐさを冠したブログ記事を書いていたこともあるほど、自己認識にものぐさを持っています。

今回の記事に書いた内容は、自身の備忘録としてまとめていたものを公開用に再編集したものだったりします。ものぐさなので、自分用に書き殴っただけだったので、公開用に大幅修正しました。

日記に書くものと書かないもの

日記には、感情を記録しているだけです。スケジュール管理やアイデア等を記録する人もいるかもしれませんが、自分はあくまで過去のことのみです。理由は単純で、未来のことを紙の日記に書くことは、運用していく上で参照しづらいからです。
紙を眺めて、何度「検索したい」と感じたかわからないほどです。

自分は使いやすさを重視して、それぞれ使い分けています。アイデアはNotionにまとめていますし、スケジュールはスマホのカレンダーアプリで管理しています。

アナログの利点は俯瞰性とよく言われることですが、紙の日記に記録していくことで、その特長のみを享受しています。

他にも紙の日記をつけている理由があります。
仕事柄、常にPCの前にいることが多いのですが、あえてペンを握って紙に記録する行為をしたいと感じたことがあるからです。なんだか漢字を忘れつつあったので、リハビリも兼ねて紙の日記を使っています。

継続の仕掛け

本文でも述べている通りですが、自身がものぐさなので、いかにしてモチベーションを保つのかを日記に限らず日々模索しています。

その中で面白いと感じたものが、仕掛け学です。他者に行動を促す方法として、行動経済学や心理学などが挙げられますが、仕組み学というものもあるそうです。それぞれの違いは自分が話すよりもWebで検索いただいた方が理解が進むと思うので、そちらを参照ください。

仕組み学の松村先生が、書籍の中でやり続けることの仕掛けとして、目に見える形で残すことを挙げていました。直接の事例は出てきませんでしたが、継続の仕掛けとして自分のやっている、日々の検温や感情の記録も有用だと感じました。

記憶に頼るのではなく、目に見える形で進捗が確認できると、達成感を覚えやすいものだそうです。同業者ならば、「Githubの草を生やす」ことと似ているかもしれませんね。

仕掛けを施すことで、意志の力で継続させないように注力しています。習慣にしてしまえば、ものぐさでも継続することが出来るものです。

ジャーナリング

頭の中に浮かんだ取り止めのない感情を、ひたすら紙に書き起こす行為をジャーナリングというそうです。
日記を書き始めた当初はジャーナリングなんて知らず、ただただ感情の記録をしたいという動機のみで始めました。しかし誰かとの会話や書籍などから、急に自分の行動との類似性を見つけることがあります。ジャーナリングという概念も同様で、自分が日記をつける行為は一部ジャーナリングの側面もあると感じました。

新しい概念を知った際に、自分の中でもやもや考えていたものに名前を与えられた気分になり、気分が高揚します。

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