砂嵐の先に見た世界
漫画家の鳥山明さんが亡くなられた。
68歳。早すぎる…。
身近に70代、80代でも精力的に活動している人がいるから、本当に早すぎるって思う。
思い出すのは子供の頃、テレビに食い入るように観たアニメ
「ドラゴンボール」。
そして、自宅のテレビに映る悟空やピッコロ、ベジータは、いつも白黒の砂嵐の中にいた。
僕の地元の山梨県はテレビを観る手段としてはケーブルテレビが主流で、ケーブルテレビに契約していない世帯だと、NHKの2局と地元の民放2局しか映らない。
ドラゴンボールのサイヤ人編がテレビで放送されていた頃、実家はケーブルテレビに契約しておらず、フジテレビで放送していたドラゴンボールは観られない…筈だった。
でも、僕はそういう環境でも、ドラゴンボールを観る事ができたんです。
何故か?
当時はアナログ電波の時代で、東京から届く微弱な電波をかろうじて受信した実家のブラウン管テレビで、白黒の砂嵐+雑音という劣悪な状態ではあるものの、かろうじてドラゴンボールを観る事ができたんですね。
映像は砂嵐で乱れてるし、雑音がひどいから、テレビの真ん前で、
目を凝らし耳を凝らし、それでも夢中になって観てましたね。
悟空が放った必殺の「元気玉」がベジータに炸裂するけど、
元々のエフェクトと砂嵐の相乗効果で、何が起きているのか
ちょっとよく分からなかった。
今日思ったのは、そんな山梨に住む一少年をテレビに釘付けにした
原動力は、鳥山明さんという人から生み出されていたんだな、
という事でした。
鳥山さんが作業机に座って黙々と漫画を描いたその時間、
何百日、何千日…があったから、
あの日の僕は砂嵐の先にある世界に夢中になった。
そのわくわくした気持ち、原体験は、
自分という人間の根っこに今もあると思う…。
あれは自分にとって、かけがえの無い時間だったと思います。
全てに感謝したい。東京の電波塔から山梨まで、
ドラゴンボールを届けてくれた微弱な電波にも。
言うまでも無く、全ての出発点である鳥山明先生に
ありったけの感謝を。