いつまでも目が覚めない
ファイトクラブがほしい。
殴り合いがしたいわけではない。
嘘。やっぱりちょっとしたい。生きてきて喧嘩の経験がまるでない。
俺を思いっきり殴って、目を覚まさせてほしい。
先日、日本橋の駿河屋で『ファイト・クラブ プレミアムエディション』を手に入れたので、久々に観た。
映画はこれまでに何度も観ている。小説も読んだ(ラストの締めは小説の方が好きだ)。
なので展開はわかりきっているのだが、20代後半で無職の今、特段刺さるものがあった。
生き方を変えねばならない。
だからROM専だったnoteに急に投稿し始めた……わけではない。
ただ暇で孤独で、何か作業しないと狂いそうだったからだ。
ところでPCでこの文章を書いているのだが、ブラインドタッチが絶望的すぎて全く進まない。ここまでで1時間以上費やしている。暇をつぶすという役割は果たせているけど。
ともかく、生き方の話だ。
『ファイト・クラブ』は過度の消費と押しつけられる規範でがんじがらめになることを否定する。だが、それらにとってかわる画期的な生き方を親切に教えてくれるわけではない。
それを作品の中で提示してしまえば、人々はそれこそが正義なんだと信じて再び思考停止に陥るから。
社会の奴隷であることを拒絶したのに、同じ服を着て、同じ仕事をして、同じ教義を信じて、顔と名前を持たない奴隷となったスペースモンキーのように。
答えを教えるんじゃなくて、「はよ探しに行け!」と発破をかける作品なのだ。
それは別人格を作って、アパートを爆破して、殴り合いをして、タマを奪られかけて、自◯未遂をした果てにようやく見つけられるものかもしれない。
それは一瞬しか続かないかもしれない。
見つからないかもしれない。
それでも、この作品の毒にあてられてしまえば、大衆に紛れてぬくぬくと日々をやり過ごすことはできなくなる。
社会に迎合できず、かといって1人で生きていける武器も持たない半端者の俺にとっては、どこまでも意地悪で、もどかしい。
そんな作品だ。
それはそれとして。
俺にはいい加減、目を覚ましてほしい。
現実を直視して前に進んでほしい。外に出て、人と関わってほしい。このままだと引きこもりに戻ってしまう。怖いことから逃げ続けてしまう。
カーテンを閉め切った部屋で酒浸りになっていたら、まるっきり母親と同じだ。
あはは!助けてほしい。
結局後半はほとんどスマホで入力してしまった。
ブラインドタッチを練習していきたい。
これから先も投稿が続くのかわかりませんが。