Netflix「理想のふたり」(原題Perfect Couple)ネタバレあり感想
公式によるあらすじ
「ナンタケット島の大富豪一家の一員とまもなく結婚することになっていたアメリア。だが、当日に死体が発見されたことで結婚式の予定は狂い、さらにその場にいた全員が事件の容疑者に...。」
主演がニコール・キッドマン、さらにニコールが演じる役の設定がエミー賞受賞作『ビッグ・リトル・ライズ』(Big Little Lies)を彷彿とさせ、ああいう(絵に描いたように完璧で幸せそうだが、知れば知るほど曰くありな人妻)ニコールがもう一回見たい!しかも、フランスが誇る俳優、イザベル・アジャーニが出てる!と前情報なしに視聴。全6話と比較的コンパクトなこともあって、一気見した。
以下、ネタバレあり
このドラマはミステリーなのか?
しばらくは、王道ミステリーだと思って観ていた。
閉鎖的な島という環境で起きた殺人事件。
理想的に見えて、様々な問題を抱える富豪一家。
殺されたのは、新婦の友人でインフルエンサーの若い美人。
家族とその親しい友人たちが容疑者となり、その容疑者一人一人に順番にスポットライトが当てられ、彼らの抱える個人的な問題と、事件が起こった夜の行動が明らかにされていく。
俳優陣の素晴らしい演技もあり、推理の過程と、その間のドラマだけでも十分楽しめるのだが。
敢えて、断言しよう。
これは犯人捜しのミステリーにあらず。
王道ミステリーと思わせて、わたしたちが抱いている「ミステリーにおけるステレオタイプの女性像」をあぶり出す、ドッキリというか、実験なのでは。そして、ステレオタイプの女性像を創作物の中で再生産し、消費し続けることに異議申し立てしている作品ではないか、と思うのです。
殺される女のステレオタイプ
被害者であるインフルエンサーのメリットは、ブロンド美人で、いつも露出度高めな服装のパーティーガール。新婦アメリアの親友ということだが、地に足がついた印象のアメリアに対して、メリットは「尻軽」風に見え、二人が仲良しって何か裏があるんじゃないかなと勘ぐりたくなる。案の定というか、メリットが新婦の義理の父になるタグと不倫関係にあり妊娠していたということが明らかになり、やっぱり彼女はゴールドディガーだったのかと、納得しかけたのだが。しかし。
話が進むにつれ、彼女は決して尻軽でもゴールドディガーでもなく、タグを本気で愛していて、アメリアとの友情も本当に心のこもったものだったことが語られる。
・・・誤解してごめんなさいね、メリット。
派手な若い美人 イコール ゴールドディガーではないですよね、勿論。
実生活なら、ステレオタイプ化にストッパーが作動するところ。
けれどそうできなかったのは、ミステリーというジャンルで早々に殺される女のステレオタイプを、私が深く内面化していたからに違いない。
現実生活における偏見が、創作物として再生産され、現実生活に影響を及ぼす悪循環。
それに思い至ったとき、メリットの死を悼むアメリアの涙が、これまで千もの作品で殺されてきた派手な美人たちを悼むものに思えてきた。
登場人物にして創作者である主人公
本作一番のどんでん返しが用意されているのが、ニコール・キッドマン演じるグリア。売れっ子作家で、美しくエレガントで、裕福かつイケオジの夫に愛されている(と見える)グリア。
絶対何か隠していそうという大方の予想を裏切らず、完璧なイメージがあれよあれよとドミノ崩しになり、彼女の抱える秘密が明かされる。
予想を超えてきたのは、最終的に彼女がその秘密を主体的に暴露したこと。
秘密が秘密でなくなり、彼女は長年の重荷から解放される。
しかもしかも、一切の顛末を作品にする、という選択をしたこと。
その手があったか!すごいぞグリア。
ここで、グリアが自身の実生活をモデルに作品を書く作家である、という設定が生きてくる。このドラマ自体がグリアの作品に基づくという入れ子構造が生まれ、ドラマの次元が歪んでメタの次元とつながる。
演者のニコール自身、かつてトム・クルーズという偶像と完璧なハリウッド・カップルと見なされていたことも思い出さずにはいられない。
「理想のふたり」であろうと、涙ぐましい努力を重ねてきたのはグリアだった。それは女の成功が、パートナーや家族で測られてきたから。
けれど、いつの間にか時代は変わっていた。
グリアがそれに気づき、視点人物として次世代のアメリアを選ぶのは最高にエモいではないか。
最後に、最大のネタバレかもしれないけれど、
イントロ映像の別ヴァージョンのようなエンディング映像が、ドラマの全てを象徴するよう、というのは言わずにいられない。
イントロ映像では、主要キャストはじめ大勢が一斉に同じ振り付けを踊り、最後にカップルが抱き合う。エンディングでは、監督を含む女たちだけが手をとりあって輪になる。(異性の)パートナーがいてはじめて完全と見なされる女性像を捨て、不完全であっても個の人間として生きる先にこそ明るい未来があるはず、というメッセージ。
もしかして、それが「完璧なカップル」に代わる新しい幻想だとしても、私はしばらくこのほろ苦くて甘い期待を味わっていたい。そう思わせられた大団円でした。
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