フェミニズムってなんだろうか

FEMINISM:https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/feminism
FEMININ:https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/feminine

はじめに

最初に、フェミニズムと、フェミニンについて、オンラインの物だけど、英辞書の結果を置いた。
フェミニズムは、権利を求める?待遇改善を望む?ともあれ、思想だ。
言葉の元になったであろう、フェミニンの方は、女性的な、など、「らしさ」を示している。
これは何故なのだろうか。
フェミニンのイズムならば、女性らしく生きる、とか言うのになるのではないのかなぁ、と考えていた。
つまり、僕の中で、フェミニズムは、最初から設計破綻した言葉だった。
さらに、僕はキモオタなので、オンラインに居られるフェミニストの方々の文字列には辟易としていた。一人一派とか、萌え絵はなんたらとか、あれは良くてこれは駄目とか、気持ちの発露にしか思えてなかった。

接触

ある日、とある方の真摯な文字列を見て、フェミニズムはなんだかよく分からない破綻した言葉ではなく、正しくイズムで、心に灯すものだという事を把握した。ならば、僕が設計破綻しているな、と感じた所を文字列にして行けたら良いんじゃないか、と思ったのだ。
そこで得た言葉は
「私が主役」
であり、頭を抱えた。

何故頭を抱えたか

イズムなのに、不定の自己を掲げてしまっては、基準点が無くなってしまう。
僕はこの時、フェミニズムの及ぼす範囲を人間関係のみで考えていたから、基準点が無いイズムでは独立独歩する人間の増殖は社会を構成できないと結論付けていた。
システム的に言うならば、インタフェースが無いスレッドであり、親からコールされて動いて、結果を出力して、終わりとなる。
社会とは、システムで、システムとは、連携しなければならない。
これでは連携が起きない。
そして特に「草食系男子のホモソーシャル」への嘆きなどは、僕のこの考えを補強した。
彼らが何かの為に動き出すわけがない。「正しく」独立独歩になっているから。

転機はタイムラインと共に

僕はTwitterがあまり好きではない。
SNSとして考えると、システム的に、なんとも使い勝手が悪い、と思っていた。ただ、マイクロブログとして考えると、好き勝手投げ散らかして、好き勝手言いがかり付ける、ってのは、なるほどラクチンな仕組みだな、と思っていた。
みんな好き勝手言う。みんな己の感情を吐露する。それを恥ずかしがりもせず、当然の事として行っている。SNSは生活だな、って考えていた。
だから僕のTLは、大概告知か、記事の紹介で埋まるようになっている。
個人の、己の思いをつづるつぶやきは、僕がフォローしている人達からは、なかなか出てこない。そうなるように選んでいたつもりだった。
が、このNoteを書いているのは、二つの文字を見たからだ。
「愛は形式化できない」
「(愛は)非可換」

本気で感動した

noteなんて長文書いちゃうくらいに。
僕は長文を書くのが苦手なのだ。たぶん、文章構成能力が他者より低いと自認しているからだ。第三者の評価は受けた事が無い。僕は僕を、物を書くに値しない奴と断じている。
その僕は、書き出してしまうほど感動したのだ。
「私が主役」

「愛は形式化できない」
「愛は非可換」
が合わさり、さらに僕のオタ文化と結合した。
愛というキーワードでヴィンランドサガを読んで頂きたい。
ヴィンランドサガでの愛について、僕の要約は
「愛とは世界に満ち溢れていて、世界は愛など感じないほど厳しく、愛を感じる時は差別が行われた時である。」
となる。

何に感動したのか

僕が辟易していた文字列である、一人一派や、気持ちの発露こそが、本質だという考えに至ったからだ。
だってこれは、愛のあり方の話じゃないか。
自分を愛するという事は、自分に連なるものも愛するという事。
世界をこう愛したいのに、愛せない事への、叫びなんじゃないのか。
愛は形式化できなくて、非可換なんだ。私が主役なのに!

これからのフェミニズムを考える

とするならば、世界の在り方に対しての不満なんじゃないかと考えた。
本来、全員が平等という思想に、対立構造は存在しえないのだから。
だから問題は、社会の在り方ではなく、世界の在り方。
物理的な存在としてどうしても定義されてしまう僕らは、形状に引っ張られて、情報の圧縮や情報伝達の効率化から、「決めつけ」をされる。
例えば、プログラマは機械に強い、とかね。御社のプリンターの不具合なんてわかりませんことよ?!
つまりフェミニンが持つ意味、「らしさ」が、僕らと言う、物体から離れた思考それ自体を、束縛しようとする。
束縛自体が問題なのではなく、なぜ束縛されるのか、相互理解や共通文化が無い状態が問題なのだ。TPOとは束縛そのものであるから。
これはつまり、男女の話ではない。
生き方の話なんだ。
僕は、そう思う。

具体的な話は?

頭良い人達が考えてくれるよ。
論で武装することではないだろう?と水を向ければ、多分、判ってくれる人は、一人か二人いるよ。
そこから、時間が経てば、頭の良い人も混ざってくれて、あーだこーだとしてくれるよ。
さらに言うとさ、別に今のフェミニストの活動がどうこうって話でも、ないと思うんだ。
ジェンダーギャップとか、kutooとか、ジェンダーロールとかさ、それはそれで、(僕の中では)各論を対処してった方が良い事、いっぱいあるもの。
大切なことは、生き方の話だという事だ。
だから、誰かを蹴倒したり、傷つけたり、非難したりすることは、貴方の魂の叫びなのだと思うけども、それは、フェミニズムじゃないよ。
ただの暴力だ。
貴方の近くに、貴方の怒りを一緒に抱いて、癒してくれる人が居る事を願うよ。

これからの想定ケースとか

すごく単純な言葉にすると「私はこうしたい」になるんじゃないかな、フェミニズムって。
だから「甘えるな!」って言ってくる人が出てくると思うけど、いやいやこうしたいんだってばなんか方法ない?ねぇねぇ?って話を繰り返して行けばいいと思うんだよね。
特にネット空間だと、明後日の方向への文字列はみんな感情の吐露だからキッツいけど、HeyYouちょっと時間ある?的にレスすると、丁寧だよ(観測した
会話を、議論を、対話を、諦めてはいけないよ。
結論が出なくて良いんだよ。どっちの論が優れているなどと言う事も無いんだよ。良い案が生み出されれば、全員幸せになるんだから。
僕らは残念なことに、この世界の中に居て、社会を組み立て、社会秩序なるものを維持しないとなんないんだ。
すり合わせていく、という行為は必要だよ。
そして、人と触れ合う事は、感動する事があるよ。

おわりに

乱文な長文、失礼しました。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
僕のこの文字列が正しいなんて思っていません。
だって、今までのフェミニズムの歴史、全部うっちゃってますもん。
でも、僕はそう思った。
だからこれを書いた。
「僕が主役」
もし、ここから、頭良い人達がガリゴリアップデートかけていってくれたら、嬉しくて昇天してしまうね。
インターネットには、集合知、って言う奇跡があるからね。

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