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日常#9 色眼鏡を外したときに見えた世界

 はじめて自分とは異なる国に住む親友ができたのは、中国に留学していた頃です。今でも交流があるその親友がこの度ご懐妊ということで、コーヒーを飲みながら彼女との出会いと、ともに過ごした時間を思い出しています。

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 当時は「これから中国は伸びる」と言われていた時代。東南アジアの華僑をはじめ、世界各国からビジネスマンの卵たちが中国へ留学にやってきていました。

 (今では考えられませんが)人と関わることに貪欲だったわたしは、ろくに中国語も話せないにもかかわらず、留学当初から馴れ馴れしくクラスメイトに絡みました。しかし、クラスの中に一人だけ、どうも表情が優れない人がいました。その人が、のちにわたしの親友となるKちゃん(仮名)。なぜ、自分は受け入れられないのだろう?と良くも悪くもアホだったわたしは、Kちゃんには特に積極的に話しかけたのでした。

 おそらくかなり鬱陶しかったはずですが、Kちゃんは少しずつ長めの返事を返してくれるようになり、1カ月も経つ頃には、授業後お互いの部屋に遊びに行ったり、学外にごはんを食べに行ったりする仲に。そのうちいっしょに香港に旅に出かけたりするようにもなりました。



 仲良くなってから出会った頃のわたしの印象を聞くと、思っていた通り「鬱陶しかった。笑」とのこと。「そもそもあなたが日本人だから、関わりたくなかった」と正直に話してくれました。

 Kちゃんの国では反日教育がなされているようで、彼女自身もそのような思考になっていた、と教えてくれました。

Kちゃんにとっても初めての海外留学。そこで初めて関わった昭和フェイスの日本人。


 教育により刷り込まれたステレオタイプという色眼鏡でわたしを見たとき、わたしはどんな風に映っていたのだろう。

 反日教育に関しては、今であれば「それも国策のひとつなのだろう」と理解はできます。でも当時のわたしたちはその教育の在り方に、ちゃんと悲しく、ちゃんとむなしい気持ちになったのです。同時に、その歪められた世界を戻すための努力を始めました。

 それからわたしたちは授業が終わるとどちらかの部屋に集合し、さまざまな話をしました。時にはいわゆるタブーとされる内容、領土問題や歴史に関する”両国”間の見解についても。話しきれない内容はノートに書き、相手に渡しました。

 ベッドに転がりながら、学内を散歩しながら、火鍋をつつきながら話を重ねたわたしたちがたどり着いた結論は、「国と個人は違う」ということ。


 国籍や信仰、ジェンダーや家族構成などの背景から「そのひと個人」だけをトリミングして向き合うことは“常識”を身に着けて生きてきたわたしたちにとってとても難しいけれど、そうしなければいつまでだっても互いに歩み寄ることはできない。妥協なしに、個人と個人が様々な境界線を飛び越え、心から混ざり合うには、意識的にホンモノを見極めようとする“努力”が必要なんや。

 二十歳のわたしはそう学びました。

 Kちゃんと過ごしたのはほんの半年だったけれど、Kちゃんと過ごしたあの時間が、人と関わるときに大切にすべきことの礎を築いてくれたかけがえのない時間となりました。


 それからしばらくして、日本では『中国では“段ボール肉まん”が売られている!』と話題になりました。テレビ・新聞・ラジオ・インターネット・・・ありとあらゆるマスメディアがその一部の地域で実際に起こったか起こらなかったかもわからない情報を同じ角度から捉え、報道合戦。多くの日本人が中国人に対するまた新たな色眼鏡をかけるきっかけとなりました。

 「中国人って・・・」と嘲笑する日本人がいると、心底悲しい気持ちになったのを覚えています。なぜなら、わたしは中国で、幾度となく中国人たちに大切にしてもらい、彼らのことがだいすきだったからです。


 今でも、「中国人は」「イスラム教を信仰している人は」「今どきの若い人は」等を枕詞に、根拠のないステレオタイプをそれがあたかも一般論であるかのように平気で語る人がいます。


 色眼鏡を外したら、本物の世界の色に感動できるのにな。


 わたしは、Kちゃんのおかげで、これから開発分野で働く上で大切な「裸眼で世界を見る術」を得ました。

Kちゃん、いつもありがとう。


そして、おめでとう!

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