炎に飛び込む蛾
修士プログラムの最終章を閉じるべく、最終目的地であるフィリピンにやってきております。スリランカから一旦帰国し、英気を養った後に、10月24日夜にこちらに降り立ちました。
競うように建てられた背の高いビル、大規模な商業施設、煌びやかなホテルーーー空港から中心部に向かってくる時に車から見えたマニラは、9年前と比較してなんだか少し「発展」したように感じました。
新しい居住地となったコンドミニアムも想像の何倍も立派。
何重にも警備がついたその建物のロビーの正面には大きなレセプションがあり、間接照明でおしゃれに演出された空間には大きなソファーが並んでいて、そこでは住人たちが優雅に寛いでいました。
石造りの壁を伝った先には6台のエレベータがあり、どこの国にいるのかわからないような気持ちのまま、自室がある32階のボタンを押しました。
翌日に外に出て改めて見てみると、渋滞・人混み・大気汚染・・・と、(やっぱりここはマニラだなぁ)と感じたわけですね。
また、中心部での「発展」が進んだだけに、余計にホームレスやストリートチルドレン、スラム街の存在が際立って見えたり。
物価も確実に上がっています。
近代化理論を骨組みとした資本主義社会構造がここまで露骨であるならば、きっとマニラはこの先もどんどん貧富の差の拡大は避けられないと思ってしまいます。
マニラの暮らしにくさを感じる私は「将来仕事をするならマニラでは厳しいな」と生活先を選べます。でも、ここに生まれ落ちた人は“逃げられない”わけで。
国際協力の道に進むのであれば、「どこの国に行っても、その国のために最善を尽くします!」という気概が必要なのだろうけれど、最近の私は9年前とは違い、どうも傲慢になっているようです。
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先日、大学が企画してくれたManila tourという遠足。
マニラに対するモヤモヤする気持ちを抱いていると、外出する気持ちもなかなか起きず、学校以外は自室に篭る日々が続きがちですが、この日は参加してきました。
そこでRizal parkに訪れる機会がありました。
彼がナショナル・ヒーローであることは当然知ってはいましたが、彼の障害についてしっかり話を聞くのは初めてでそれはとても興味深いものでした。
José Rizal(ホセ・リサル)は、スペインの植民地支配に抗して自由主義改革と平等を訴え戦いました。
幼少期から独立を謳った身近な人々が不当な処刑を受ける様子を目の当たりにしていたJosé Rizal。21歳の時にマドリッドに留学した彼は、「フィリピン人はスペイン人に劣るのではなく、足りないのはただ教育の機会だけだ」と考えるようになり、フィリピンをスペインの従属から解放することに使命を感じ、同胞の啓蒙に奮闘しました。
そんなJosé Rizalは1896年に銃殺刑となります。
独立派の武装組織が蜂起し始まったフィリピン革命の指導者のひとりとして容疑がかかり、実際は直接かかわってはいなかったものの裁判で有罪となったのでした。
銃殺刑が実行される直前に測られたとされるJosé Rizalの心拍数は、平常通りだったと言われています。それは彼が覚悟ができていたからだそうです。
そんなJosé Rizalが幼少期の時、母親が彼に話していたとされる逸話がとても印象的でした。
その彫刻には燃え盛る炎に飛び込む蝶が表現されています。
Google翻訳によると内容は以下です。
「蛾が2匹いました。1匹は老いており、もう1匹は若いようです。
2匹はキャンドルの明かりで遊ぶのが大好きです。
ある夜、若い蛾がろうそくの炎のすぐ近くを飛んでいました。
「気をつけて!」 年老いた蛾が言いました。
「翼が焼けて飛べなくなるかもしれないよ」
「怖くないよ」と若い蛾は答えました。 彼は美しい火の周りを飛び続けました。
しかし一度だけ、火が翅に触れ引火し、テーブルの上に落ちたことがありました。
年老いた蛾は「言っただろう?」と言いました。 「もう、もう飛べないよ」。
José Rizalはその話を聞いている間、小さな蛾が光の中で遊んでいるのを面白がっていました。
彼は、たとえ危険であっても、光を求めて光に近づきたいという小さな虫たちの大きな欲求に気づきました。
物語の中で翅が燃えて若い蛾がテーブルに落ちたとき、それはナツメグ油の中で本物の蛾が燃えて羽が燃え落ちたのと同じでした。・・・
「炎は教育だ」とJosé Rizalはいったと言われています。
それはこういうことかな、と解釈しました。
「真実を知ることで矛盾や不正が見えてモヤモヤ感が生まれる。
正義感を原動力としてきちんとそれに抗うことは、世の中のメインストリームと逆行することを意味する。
出過ぎた杭になることは、いつの時代でも、叩かれる。自分の命は危険にさらされる」
それでもJosé Rizalは「たとえ危険であっても、光を求めて光に近づきたいという小さな虫」であろうとするわけです。
本能のままに。
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帰りのバスの中で、隣の席にいた友人と、「自分にとっての“炎”はなんだろう?」という話になりました。
私にとっての炎は、なんだろう。
マニラの現状に対して、私は炎を認識していながらも完全に“年老いた蛾”のポジションをとっています。
見て見ぬふりをせず、自分の人生を賭けて、飛び込んでまで行こうとまで思える世の中の課題は、なんだろう。
この2年間を、いや自分の人生の軌跡を振り返りながら、明日はじっくり考える日にしてみようと思います。