宇宙は情報生命体 -失敗しない努力の方法(一般論篇)-
天才と凡才の一番大きな違いは次の真理を抱えているかどうかかもしれない。すなわち「誰かにできるということは自分にもできる。もしできないとすればそこには情報の壁がある」だ。これを踏まえれば努力というのは壁を探ることを第一とし、その突破の方法の考察を第二とすればいい。
第一のことはとにかくすべての経路を走破するつもりでやってみればいいし、第二の突破する方法は情報に着目すればいい。この努力をすれば意図的に隠蔽された情報もわかるし、壁に見えたところが迂回できれば、通行証としてのその情報が実際には必須ではないこともわかる。
そしてその壁においてその情報が価値をかさ上げされたり、あえて隠ぺいされているという事実から、そこで世界が意図するところまでもわかる。(本当の意図は人にはない。世界が意図している、ということまでわかる。) …ようになる。
アプリケーションを知りたければ、ただ使うだけではなく、プログラミング言語のソースコードが読む。それが読めるようになったら、今度はコンパイラの逆アセンブル情報を読んでいく。世界の中でマシン語領域の情報に相当するのが形而上学であり、その道具が哲学だろう。哲学にはほんとうにいろいろな方法論とその適用例がある。
努力というのも使用からソースを類推し、さらにソースを成立させるマシン語を理解する。マシン語の理解とはつまりアドレスの格納と操作だ。宇宙の理解も構造的にはそれで間違ってはいない。科学のトピックスから自然の本性に至り、さらに宇宙の真実に触れる。これができれば人間の営みなどは児戯だ。つまり非常に遊びとして面白い。
他に要素があるとすれば電源だ。つまりモチベーション。クロック数の問題ももちろんあるが、別に一回の人生で踏破する必要もない、と考えていれば気は楽だ。知能は継承されないが、魂の権限は継承される。形而上学に達している魂は、自分の天命をいち早く開花させやすい。
情報は実際には隠されていないが、それを意味あるものとして見出すには権限の獲得が必要だ。その鍵こそが壁を認識しその壁を超えるために工夫して、情報をゲットする経験だ。この権限を持っていれば、他生においても壁を超えるのが容易になる。壁に当たらない人生なら、その権限も無駄になるだけだ。
キャラクターとしての自分を知り尽くせば、プレイヤーとしての自分の存在を認識するようになる。そのプレイヤーこそが権限を有している。この権限は宇宙の権限だから、自然法の範囲だ。人間社会の資格の獲得の過程なども、実際にはこの構造を模しているに過ぎない。
人間界の資格は回避するすべがあるが、宇宙の定める権限は壁を通るときに確実に適用される。壁を権限で通るのも、乗り越えるのも自由だが、権限があると素通りしてしまうので、逆に壁の存在に気がつかないことも多い。天才が凡才を教えることが難しいのは、これが理由だ。天才も目を凝らせば壁は見えるのだから、その壁に付随する情報を提供すれば、かなり喜ばれることだろう。
壁をこえようとしない人とかには、その価値はわからない。人生をいいものにしようと努力をしなければ、そもそも壁の存在すらわからない。実際には壁の構造がわかればその機能が理解でき、乗り越えることは可能になる。感情の発現や言語操作能力なども実際にはこの機能に属するものだ。(~この段の情報はかなり大きなカギになるw)。
全ての意志あるものが、意義に満ちた素晴らしい人生を送れることを心から祈念する。