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自分の切り売り

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sell by the me

文法が間違ってる気がするんだけど、込めた意味は「私を切り売りする」。

自分のバックグラウンド、内側から湧き出てくるもの、思考、想いを文字にする。それを世界へ公開する、誰かに読んでもらう、収益化して還元される。それって、自分を切り売りすることなんじゃない?と、私は思う。


小栗旬さん主演の『人間失格』を観た。
関わった人間たちの人生をも狂わせてしまった作家、太宰治。何度も自死(正確には心中)を試みるもしぶとく生き残り「ああ、死ぬところだった」などと呟く。酒と薬(治療薬の乱用)もお手のもの。セックス、ドラッグ、ロックンロール。太宰治、実はロッカー説。
もしかして現代のバンドマンはみんな『人間失格』がバイブルなのか?


今でこそ文豪と呼ばれているけれど、日の目を見ない期間はあまりにも長かったらしい。後に教科書に欠かせない作品を生み出すなんて想像もつかないほどに、彼の作家人生は泥臭く、陰鬱で、悲哀に満ちたものだった。酒も薬も女も、すべては「作品が評価されない」という虚しさを埋めるためのものだったのだと思う。
(作中ではその暗い影を際立たせるかのごとく、蜷川実花氏による鮮やかな演出が随所に散りばめられているので是非観てほしい)

…しかしまあ、筆が進まず酒に溺れたり、祝賀会で酒に溺れたり、かと思えば愛人と入水自殺を謀ったり、尽く溺れるのが好きなのかと突っ込みたくなるな。

努力が評価されないことは現代を生きる私たちにとってもごく当たり前のことで、むしろ評価されることのほうが少ない。
けれど、太宰が作品にかける情熱は私たちの「頑張ったな、よし」の比ではなかった。自らの血で原稿用紙を染めるかのように、その身体に万年筆を突き立てるかのように、書いていた。肉体と精神の削ぎ落とし。入水や服薬よりも死に近い場所。

自分の心身を切り落としたものが安値で買い叩かれる。あるいは値もつかずに突き返される。どんな屈辱だろう。

死後十数年が経ち、世間に大きく評価され、偉大な作家として名を残した彼は、あの世でまた酒をあおりながら「それ見たことか」と笑っているに違いない。否、笑っていてほしい。
ちなみに太宰さん、人生については大きな出来事だけピックアップされて、あとは端折って書かれてあるので大丈夫ですよ。大丈夫じゃないか。




noteは、Twitterよりも多い情報を同じくらいの拡散力で発信したい人が使えるツールだと捉えている。実際、自分が展開しているビジネスの発信だとか、目標を実現するための手段として活用している方も多い。プレゼンに近いかな。

一方、ブログとして使っている方も多い。日常の些細な気付きを丁寧に綴っている。私はそういう記事を読むのがとても好き。

私はというと、ここで自分の切り売りをするのが目的だ。
ブログよりも生々しいことを書いていきたい。遺書のようでもある。

ここ数週間「私はそのうち、そんなに近くないけれど、数カ月とか来年とか、遠くはないうちに死ぬ気がする」という妙な感覚に襲われている。
能動的に死のうとしているわけではない、ビビりだし痛いのが嫌なので。
ふっと、まさに「お迎えが来る」のではないかと思っている。 

だからここに刻んでおこうとしている。
実際にどうなるかは別として、いつ何があっても、切り売りした私の一部が世界に残っていたら「やってやったぜ」と言える気がする。
お酒は飲めないから、カフェオレを片手にケーキを食べながら笑う予定。


これで全然死ななかったら超笑うよね。

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