ノヲト・書き方・考え中 そのよん

2024年という西暦を冷静になって眺めると、
「結構、90’sが終わってからずいぶん経ってしまったのではないか」
という事に気づく。
それを本当に「気づき」かどうか、もちろん様々異論はあると思う。
無条件で受け入れたい。
「1足す1は2であるが、1足す2は3であるなぁ。結構、違う。」
みたいな話である。
”気づき”なのか、”単に事実”なのか、という事なんだが、
1990年代から四半世紀経っているという事実。
改めて思ったり、特に思わなかったり、という事もあるのでは。

もういい加減に知りたいのは
「コンパクトディスク、つまり、CDの寿命問題はどうなった」
という事だ。CDが普及しだした頃から問題視されていて
もう30年以上もモヤモヤしている事である。
CDの構造の問題点は雑に言うと、
プラスチック的透明樹脂にアルミ的金属の印刷物が挟んである。
それを光を当ててレンズで読む。
プラスチック的透明樹脂はやがて酸化したら曇ってしまう。
または、
プラスチック的透明樹脂は傷つきやすいので、
その傷が保護していたはずのアルミ的金属に達して
アルミ的金属が酸化して変形変色して正確に読めなくなる。
それがCDの寿命なのである!!CDは長持ちしない!超心配!!
…という奴だ。
その後に現れた光ディスクも同様であるわけで、
レーザーディスク・DVD・BDも同じ。
ま、ディスクのキズ問題というのはとても理解できる。
実際、キズがついてしまってダメになってしまったCD等は
個人としても見てきているし、一般的に常識だ。
アルミ的云々がどうか以前に
キズのせいでレンズが正確読めなくなるのだ。
そのために大事な光ディスク類をとても丁寧に扱うわけで。
ハッキリしないのは、
『プラスチック的透明樹脂は自然に酸化して曇ってしまうのか』
という点。
寿命問題が唱えられた当初、
”CDは10年で駄目になってしまう”説があった。
光ディスク全般は10年以上の年月を経験をしてなかったわけで
皆がトゥモロー・ネバー・ノウズである。
プラスチック的透明樹脂の性質は幾らか推測できようが、
基本的には判らなかったはずである。
そこに、誰かがが「10年!」と叫んでしまったのではないか?
断言する人が一人であっても、響くものがあったのか。
こう、筆(キーボード)の勢いに任せて文を綴っていくだけでも
何やら紐解けるものがある。
いわゆる”オカルト的な疑わしさ”が見えてくる。
当初、CDはオーディオ用に設定されて作られた。
現在、オーディオのマニアックな域に達すると
なぜかオカルト的思考が入り込むというのが有名だ。
デジタル端末で聴くという話でも
『純金製のUSB端子のコードで繋いで聴くと音が良くなる』
というメカニズムを逸脱した胡乱(うろん)な説を
信じてしまう人がいないことも無いという。
オーディオ・オカルトの陰謀、というとスッと収まってしまう。
『CD10年殺し』はオーディオ・オカルトの誰かが仕掛けた
ロシアのサンボの裏技なのでは?(現物には効かないけど!)
なんだか、背筋が薄ら寒い気分だ。
それが入り込んでしまう非科学的な未知のゾーンが怖い。
ここまで書いておいて今更ではあるのだが
さきほど「CD 寿命」でグーグル検索したら
”50年~100年”という説があるという事だ。
揺れ幅がとんでもない。有って、無い、ような。
110年だって持つかもわかんないし、もしか40年も持たないかも。
そんな気にさせる。
でも、”10年の寿命”に比べたら…
とても正直で説得力がある。
明日の事は、誰にも、わからない。

さて。
「オーディオオカルトの呪言なのでは?」
と”説に説を”立ててしまうと、
これは1980年代、オーディオのメインメディアだった
アナログレコードの上位メディアに来てしまうであろう
オーディオ・コンパクトディスクへの
オーディオマニアからの粘着かつ鋭い流し目、というか、
「アナログレコードが消えてたまるかよ!」という
断末魔的ルサンチマンから発生した説なのではないか?
という風にも解釈できてしまった。
この解釈はあまり大声では主張してはいけないと
思わせる哀愁を孕んでいる。
「2024年現在、LP盤EP盤の良さが見直されていますよ。」
当時のその呪いにそっと毛布のように言葉をかけよう。

…ただ、
昨今の欧米のi怖いほどの気候変動を考えると、
レコードの方が溶けちゃう危機があるんじゃないか?
という…
自分が勝手に考えた仮想のオカルト爺の入眠に
冷水をかけてしまうのが、自分の悪い癖ではある。
光ディスク類も、アナログレコードも、
大切なものは丁重に扱って、来世紀にも残しましょうや。

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