乳がん手術のために入院した当時の日記。
先程Googleドキュメントを整理していたら、日記というかメモが出てきました。
入院当日なんてすっかり忘れていたけど、担当医の説明部分が割と細かく書いてあるので、記録として残そうと思います。
(個人名等は伏字にします)
もう3年…。時間はあっという間ですねぇ…。
これでふと思い出したのですが、
私には子どもが3人いて、当時小学校4年、小学校2年、年中でした。
子ども達にどうやって告知したか、子ども達はどんな風に理解していたのか、入院日はどんな感じだったのか、を書いていなかったと思います。
次の機会に書こうと思います。
今回はメモのコピペを。
【※の補足:告知の時、夫が質問したら超ドライに遮られたことがあり、日ごろ温厚な夫も、さすがにその物言いにカチンときたらしい(笑)】
【補足:手術日が月曜日なので、金曜日から入院してくださいと言われていた。病院に行く時は子どもと涙の別れだったのに、病院に行くと「土日は何も治療しないので、外泊OKですよ~」と言われたので、この日家に戻りました…。玄関に入った私を見た子ども達の微妙な表情と、私の複雑な表情をご想像ください(笑)】
【補足:ガン治療のことはほとんど周りには言ってなかったのと、仕事関係の人なので特に注意していました。幸い空き部屋がある時期だったので、すんなり変えていただけました。】
途中、「ゆっくりできる時間もないのか~」と書いてあります。
これがガンになった私の一つのポイントだと捉えています。
ガンが分かる前までの1,2年、私は異常なテンションで動き回っていたと思います。「今、ここを踏ん張らなきゃ」という意識でカリカリしながらも、アドレナリン出まくりで駆け抜けていました。
反面、ちょっと疲れていたのかもしれません。
心のどこかで「止まりたい」「ゆっくりしたい」と思っていたけど、状況がそうできない。
いろんな場面で責任や義務感を持ち、自分の気持ちでは手放せない状況でした。
ガンになりたいとは全く思っていなかったけれど、ひょっとしたら「今の状況から降りたい」「ゆっくりしたい」という願いがこんな形で出たんじゃないか…。と当時思ったので、願い方はきちんと具体的にした方がいいんだと思うようになりました^^;)
これらは私の超個人的な考え方なのですが、大きな病気や不幸があると「何故自分がこんな目に遭うんだ」と思ってしまう瞬間はあると思うんです。
私の中で「乳ガンになったこと」はこういう風に捉えています。
術前診断ではガンが見えなかったのに切除したのも、担当医の意見もありますが、私自身が「私はすぐに忘れて調子に乗るので、胸がない方がこの時のことを絶対忘れない」と思ったというのもあります。
自虐的ですけどね💦おススメはしません。
だって、温泉に清々行きにくいもの。
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