自分を大事にするという本当の意味
レッスンを通して生徒さんと対面すると
よく感じる歯痒さがあって、それは
人間って感じることが本来得意なのに
感じるに蓋をして生きている
そう感じます。それは
「正解を求めすぎている」
ということとイコールなのではないかと思います。
「感じる」ことにも「正解」があって、「正解」が「幸せ」を運んできてくれるのだ、と。
学生のころは「正解」だと点や良い成績や評価がもらえて幸せだったかもしれませんよね。私も親に褒められたかったから、認められたかったからそう勤めました。
そう、「正しさ」には並々ならぬ努力をしたタイプです。ず~っと優等生で走り続けてきた人間だから痛いくらい正解を求める気持ちがわかります。
けれど、今は全く違うのです。「正しさ」よりも自分の感覚が大事なのです。
そして、そして自分の感覚がどれほどわたしを助けてくれているか伝えきれないほどなのです。
だか、
リリース(力を抜く過程)をした後に
「どんな感覚がしますか?」と尋ねて
「わかりません。」って答えが返ってくる。感覚ではないものが返ってくるこの不思議。と、過去の自分を見ているような哀愁。
感覚に正解なんてないのに。どんな感覚だってあなたが感じた感覚ならば
全部本物なのに、「わかりません。」って申し訳なさそうにだったり
わからないことが不安そうだたり「答えを早く教えて!」
という雰囲気の方もいらっしゃったりしますしね。それでもよく気持ちわかります。
もし答えがあるとしたら
あなたがどのように感じたか、嘘偽りないもの全てが答えです。
こういったら相手(インストラクター)が喜びそうなコメントとか
知識がありそうなコメントとか
他者を意識したコメントはいらないですし、
それをやっていたらいつまでたっても自分の感覚に戻れないから
「何も感じなかった~」っていう「良い」や「正解」コメントからは遠そうな、けれど素直な感想がでたらそれはすごいいい兆候だと感じます。
いままで自分の感覚じゃなくて、どこかに書いてあった、
あるいは習った運動で上手くいかなかったからここに来てくださったわけですから
感じることの初心者なのですから、うっすらでも不確かでも全然いいのです。
あなたが自分の言葉で自分の感覚を言う
これ以上言葉にエネルギーを添えることはできないでしょう。
自分の「心地よさ」という感覚を忘れてしまっているから
「キツイほうが効くはず」とか
「痛いけれどこれを乗り越えれば良くなる」とか
身体は悲鳴を上げていてもがんばってしまうことがあると思います。
ここでいいたいことはそれらがダメってことではなくて
そういった世界観ももちろんJoyならばそれもありで
けれど、自分の感覚に戻ることはこの上ない喜びなんだよ
ってことを言いたいのです。
一人一人がそれぞれの世界を持っています。
だからどの世界も全部〇なわけです。
ただ私は「あ~なんて心地いいんだ~」という感覚で日々を過ごしていきたい
その前提の上にいろいろなものが乗っかっていてほしいのです。
緊張や不安といったものの上に成り立つ自分ではなく
安定と喜びの上に全ての活動がありますように。
全てはあなたのどのように感じるか?
ということを身体を通して感じてみてね。
感じることを自分に許可できたら、世界はきっと優しいと思います。
■10月14日10時(シンガポール9時)久々にインスタライブします。
身体のこと、感覚のこといろいろ一緒にしましょう。
https://linktr.ee/selfeelingpilates
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