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(今日の言葉5) 絶望の虚妄なることは、正に希望と相同じい」

この言葉は、中国の文学者・魯迅(ろじん)の言葉です。
現代語訳すれば、

「絶望が虚妄であることは、まさに希望と同じだ」

となります。魯迅はこの言葉で、彼の人生における絶望と希望の繰り返しを表現しました。この言葉は、彼が生きる中で幾度となく味わった深い失望と、その中で見出した希望を象徴しています。

家族の没落と父の死

魯迅は13歳の時に祖父が収賄容疑で捕まり、刑の軽減運動のために所有する水田の半分近くを手放しました。その翌年には父が病気になり、治療費の負担で家計はさらに悪化しました。父の病気を治すことができず、「父親が受けた間違った医療から病人の命を救ってやりたい」と思うに至った魯迅は、医学を志すきっかけとなったのです。

日本留学中の挫折

1902年、魯迅は日本に留学し、その後、仙台医学校で医学を学び始めました。しかし、授業で見たスライドショーに映る中国人が処刑される場面と、それを無関心に見つめる中国人観衆の姿に衝撃を受けました。この経験から、医学では中国人の精神を変えることはできないと感じ、文学を通じて啓蒙活動を行うことを決意しました。この転機は、彼にとって大きな絶望と新たな希望の両方をもたらしました。これは、いわゆる「幻灯事件」と呼ばれています(事実の有無はあります)。

辛亥革命での絶望

1911年の辛亥革命は、清朝を倒し中華民国を成立させたものの、その期待は長く続きませんでした。孫文らを代表的指導者とする中国同盟会には十分な実力がなく、袁世凱をはじめとする軍閥の力を借りなければならず、あらゆる面で彼らと妥協せざるを得ませんでした。孫文は中華民国大総統に就任しましたが、わずか1ヵ月で袁世凱に大総統の座を譲りました。これにより、地方でも実権を握っているのは、革命前と変わらぬ有力者たちであったことから、魯迅は胸が締め付けられるような絶望を感じ、何もかもが無意味に思えました。

新文化運動と五四運動での希望

1918年、魯迅は中華民国の新文化運動の中心的な役割を担った雑誌「新青年」に『狂人日記』を発表しました。この作品は、古来の儒教道徳や封建体制を鋭く批判し、知識人や学生に広く読まれるようになったのです。これが中国の近代文学の幕開けとなりました。その後も、魯迅は『孔乙己』や『阿Q正伝』などの作品を通じて、旧体制下における人々の苦悩を描き、当時の中国の腐敗した社会体制を告発しました。これらの作品は、迷信や古いしきたりにとらわれて傷つき、人間らしい生命力を失っている人物を主人公にし、出口のない現実を描きながら、その救いを模索するものといえるでしょう。新文化運動は、民主主義を推進し、封建的な価値観を打破することを目指しました。魯迅はこの運動の中心人物として、教育と啓蒙を通じて人々の意識を高めることに尽力したのです。彼の作品は、民衆の意識改革を促し、新しい時代の到来を期待させるものでした。

ハンガリーの詩人ベトフィの影響

幾度となく魯迅を襲った絶望を克服できたのは、やはり魯迅と同じ文学家のおかげでした。そして、冒頭に紹介した魯迅の言葉が登場します。
「日本の魯迅」といわれた竹内好によれば、

私は自分で、この空虚の中の暗夜に肉迫しなければならなかった。私は希望の盾を手放し、ベトフィ・サンドールの「希望」の歌に耳を傾けた。
希望とは何 ー あそび女だ。
誰にでも媚びすべてを捧げさせ、
お前が多くの宝物 ー お前の青春を失ったときに
お前を棄てるのだ。

(引用)[新版]魯迅、著者 竹内好、株式会社未来社、1961年、123頁

この勇敢無比なベトフィでさえ、『茫々たる東方』(夜明け)を振り返って『絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ』と言っている」のである。つまり、「真夜中」=「絶望」にも夜明けが必ずやってくるように、絶望もやはり「虚妄」なのだ。そこで魯迅は、「絶望」を知る者こそ「希望」を知ることが出来るのだと言うことを悟ります。

魯迅の理想と現代へのメッセージ

魯迅が目指した理想の社会は、すべての人々が平等に扱われ、誰一人取り残されない社会でした。彼の思想は、反封建社会の構築であり、社会全体の幸福と進歩を重視しました。彼は、教育と啓蒙を通じて人々の意識を高め、三民主義(民族の独立・民権の伸長・民生の安定)による民主主義を基盤とする社会を目指しました。

魯迅は、当時の国民を「ドレイ」と評しました。
今もなお、私たちの生活も半封建社会で成り立っているところも多くあります。企業文化においても、半封建社会と言えるのではないでしょうか。人が人を支配する制度、そのものを解放しようとした魯迅。理想の国づくりを目指す魯迅の言葉と行動は、私たちにとっても困難な時期に希望を見出す力を与えてくれます。

彼の文学は、絶望の中にあっても希望を捨てず、未来を見据える強い意志を持つことの重要性を教えてくれます。歴史上、魯迅は、孫文を毛沢東に媒介する立ち位置にいます。そして彼は、古い中国の価値の更新として生まれ出る過程において発生した犠牲を一身に背負ったのです。この犠牲は絶望であり、そこから這い上がろうとした彼の行動や作品を通じて、私たちもまた、どんなに困難な状況にあっても希望を持ち続けることを教わることができるのです。

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