【かごしま選手名鑑】#009 城山ホテル 保直延さん
桜島を悠々と眺めることができる城山にあるSHIROYAMA HOTEL kagoshima 。3代目でもあり、現在は常務として城山ホテル全体に関わっている保 直延さんに、インタビューさせていただきました。
(文:hataori たかはしくうが)
このホテルを継ぐんだと無意識に感じていた
三人兄弟の真ん中の子として育った保さん、小さい頃は食い意地が張っていたと話します。当時は系列ホテルが博多にもあり、中学まで福岡で過ごし、その後、鹿児島市の中学に転校。そのまま鹿児島で高校時代を過ごして、大学は東京に進学しました。
テニスサークルに入ったものの、いわゆる飲みサー。笑
立て直そうと仲間たちと立ち上がり、キャプテンを務めながら練習メニューを組むことも。
「小さいころから継ぐんだよって言われて洗脳されていたので、東京で長く働くつもりはなかったです。いつか帰ると、漠然と思っていました」
と笑みをこぼしながら話す保さんは、新卒で入社する会社も「短期間で成長できる、しんどそうな会社」を選び、コンサル系の会社へ就職。父に連れ戻されるように、2年でその会社を辞めてホテルに戻ってきます。
帰ってきて一番の仕事は、コピーのリブランディング
「結婚式といえばホテル」という時代から、専門式場がたくさん増え始めて、ホテルのブライダル部門の売り上げが減っていった時期がありました。そのタイミングで、保さんはブライダル部門の支配人になりました。
ベテランから新人の方まで、いろんな社員さんとホテルの強みについて話をしながら生まれたのが、今でも使っているこのキャッチコピーです。
専門式場だと結婚式を挙げて、その後関わることはありません。ですが、ホテルなら子どもが生まれてからの七五三やご両親の誕生日、自分たちの記念日など、様々なシーンで幸せを感じられる、世代を超えて幸せを重ねられることが、ホテルの強みだと思ってこの言葉を付けたそう。
「そのときに付けたこの言葉が、今でも名刺に残っていることがすごく嬉しいし、戻ってきて一番の仕事でした。」
自分の一部で、大好きな場所
「保さんにとって城山ホテルってどんな場所ですか?」という問いに、少し間を置いて「大好きな場所で、自分の一部みたいな感じ。」と話してくれました。城山ホテルを創業したのは保さんのお祖父様。
私たちがよく見る、今のホテルが完成したのは58年前の1974年。実はその前は、遊園地や今よりも規模の小さいホテルがあったそうです。1963年にできた遊園地やホテルには、噴水がありましたが、それは一度取り壊し、2000年に、再度噴水を作り直したそう。
実は城山にホテルを建設するという話には、森林を破壊することにつながってしまうから、地域住民にかなり反対されたそうです。その時にお祖父様が話した言葉を保さんは今でも大事にしています。
「これって、鹿児島の文化をおれたちに作らせてくれって宣言しているようなものじゃないですか。これはすごいなって思いました。鹿児島の食文化や祝いの文化に対して、このホテルは多少なりとも貢献してきたと感じています。かなり革新的なことから始まった城山ホテルなので、伝統はしっかりと守りつつ、挑戦する心は大事にしていきたい。そこには、創業当時の想いを受け継いでいる部分がありますね。」
城山ホテルといえば、1800名の収容力を誇る大規模な会議室もあります。建設当時は誰が使うんだという声もあったそうですが、そのような会議室があるからこそ、国際大会等もできるようになりました。
不安で押しつぶされそうな日々
鹿児島のホテルの象徴として、県外だけでなく、世界中のお客様を迎えてきた城山ホテルですが、2020年は世界の状況が一変しました。
鹿児島県にも緊急事態宣言が発令された際、目に見えるようにお客様の数が減り、今までに感じたことのない危機感がありました。
「本当に不安で押しつぶされそうな毎日でした。1ヶ月間くらい、全館休業としたのですが、再開した時に、お客様が戻ってくるかも分かりません。開業してから昨年まで、全館休業は一度もなかったんです。」
不安な中での全館休業という判断でしたが、悪いことだらけではありませんでした。全館休業の最後の2日間に、城山ホテルの全部門の幹部以上の方々で、中期経営計画の合宿をしました。
「ホテルってずっと営業しているから、みんなで長い時間を確保してじっくり話す機会って取れないんです。例えば調理長って変わった人が多いんですが、ぼくも今までゆっくり話したことはなくて。改めて調理長がどんな思いで、城山で働いているのかを聞くことができました。」
コロナがあったからこそ、中期経営計画の合宿をすることができ、立ち止まる機会にもなり、また、現場のスタッフから様々なアイデアや企画も生まれたのだとか。
「成功するかどうかはともかく、やりたいことが出てくるのは良いことでした。」と話してくれました。
経営者として大切にしていること
経営に関わる立場として、保さんは「城山ホテルが目指していることや大事にしたい価値観を、現場までどう浸透させるか」ということを、とても大切にしています。
先ほどご紹介した「幸せを、かさねていける場所」というキャッチコピーもその一つ。経営陣の考えや思いをそのまま浸透することは難しいから、分かりやすい言葉や映像にして、従業員の皆さんに共有していくことを意識しています。
また、「対話の文化を根付かせたい」とも話してくれました。レストランのスタッフ、総勢40名と1対1で話す機会も設けています。
「立場上、ぼくは現場のスタッフと日常的に会話する機会がないので、どういう思いで働いているのか、このお店の何が好きなのか、を聞くことができる時間は大事にしています。」
でも、やはりパートさんの立場になってみると、役員の方と1対1で面談することは最初は緊張しますよね。保さんのゆっくりと話を聞いてくれる人柄が、1対1の面談を充実した時間へと導いてくれるのだろうと感じました。
ここ最近は従業員の皆さんとの対話の中で、関係性が良くなってきていることを保さん自身も時間しています。少しずつ組織が良くなっていっていることに、保さんも喜んでいました。
とはいえ、城山ホテルは、社員さん、アルバイトさん、派遣社員さんも含めると、総勢1000名以上になる組織。
「一つの村みたいだよね(笑)。1000名の雇用を担っていることを考えるとプレッシャーも感じるよ。」
城山ホテルで一番好きな場所
城山ホテルに向かうには、3号線沿いの新上橋前か、反対側の西郷隆盛洞窟の前を上がってくる2つのルートがあります。西郷隆盛洞窟側が上がってくると、森の中を上がっているような感覚になるのですが、登ったところにある、楠のトンネルを通る場所が一番好きだと話してくれました。
「楠のトンネルを抜けると、急に開けて、ホテルが出てくるのは県外のお客様にも好評なんです。」
城山ホテルは、山の上にある、自然に囲まれているホテルですが、働いていると自然はあまり感じないそう。ですが、森に調和するようにこだわりが詰まっています。
例えば、外観の茶色のタイルです。タイルの間は白色の目地が使われていますが、これも様々な色を試しながら、森と調和する色として最終的に白色を選んだとか。お祖父様が一つ一つにこだわりを持っていました。
「これだけの開発をしておいてですが、祖父は枝一本切ることにも厳しかったそうです。ある時、電線に引っかかった枝を切り落としたら、それに気づいた祖父が激怒して、『この木の枝は何年何十年とかけて伸びているのだからそんな事で切り落とすのは許さん。電線を移動させろ。』と。それだけ森のことを大切にしていたんだと思います。」
保さんの野望
「『世界の中の鹿児島』を目指して、鹿児島を世界に発信できる拠点にしたい。城山ホテルを目的にお客さんにきてもらえることも多いけど、全国を探しても、森の中にあって、目の前が活火山のホテルって珍しいと思う。その上で、天文館や鹿児島中央駅と近いのも魅力。だからこそ、ここから発信できるようなホテルにしていきたい。」
城山ホテルとして、外に向けたものだけではなく、地域との関わりも増やしていきたいと話します。最近初めていることは、社内でのSDGsアワードの企画。社員さんが地域との関わりや自然・環境を大事にすることなど、SDGsにまつわることを研究しながら様々な取り組みをして、その取り組みを表彰する、といったものです。
「まだまだ大きなことはできていないけど、少しずつ拡げていきたい。1000名規模の会社でこういう取り組みが外にも拡がったら、少なからずインパクトがあるよね。」
このSDGsの取り組みは、社員さんに外の世界に飛び出して行ってほしい、という保さんの思いもあります。保さん自身は役職上、ホテル外の様々な人と関わる機会も多いですが、社員さんはなかなか取りづらいもの。
「だからこそ、外の世界に飛び出して、多くの人と関わりながら、学びにもして行ってほしい。そういう機会をつくることも、ぼくの役割ですね。」