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SNS特有の話の広がり方 「邪馬台国」論争にまで……?
「吉野ヶ里遺跡から弥生時代後期のものとみられる墓が見つかった。かなり身分の高い人の可能性も。」というニュースが出ており、考古学界などからすると注目を集めそうなものとなっていて、朝からSNS上では盛り上がっていました。
ただし今回は、そういった歴史関係に造詣の深い人たちだけに留まらず一般の人たちからも関心が寄せられる結果となりました。
なぜそんなことになったのかと言うと、そこにはインターネットやSNS特有の「噂の広まり方」「誤った情報の伝わり方」というのが大きく関係しているようです。
キャッチ―なワード
今回のニュースに関連するSNS上のトレンドワードとしては主に以下の3つがあります。
吉野ヶ里遺跡
邪馬台国
卑弥呼の墓
「吉野ヶ里遺跡」はまぁ分かります。そこを調査していて今回の墓が見つかった、というニュースなのですから。問題は下の二つ。「邪馬台国」?「卑弥呼の墓」?元のニュースを見てもらえれば分かりますが、そんなことは一言も言っていません。
なぜこんなワードが出てくることになったのか。
おそらくは「弥生時代後期のもの→邪馬台国」、「身分の高い人→卑弥呼」という発想をした人が、「卑弥呼かもしれない人の墓が吉野ヶ里遺跡から見つかったというニュースが出ている」といったような発信をしてしまったことが、今回のトレンドワードを生む結果となったのではないでしょうか。
「吉野ヶ里遺跡」では一般人からすると「ふ~ん……」で終わってしまうような話ですが、「邪馬台国」「卑弥呼」となると俄然興味の度合いが変わってくるものです。
歴史にさほど興味のない人であっても、耳に残りやすい聞き覚えのあるワードだからです。
「邪馬台国」論争を巻き込む結果に
元々邪馬台国が日本のどこにあったか、というのは昔からいろんな説が出ており、今までのところ決着はついておりません。
もっとも有力とされるのが近畿地方にあったとする「畿内説」と、今回の吉野ヶ里遺跡を含む九州北部あたりにあったとする「九州説」です。どっちにあったのかということで多くの議論がされており、「邪馬台国」論争と言われてきました。
今回のニュースにより、この「邪馬台国」論争までもがSNS上に浮上してくる結果となってしまったのです。
何度も言いますが、今回のニュースでは「邪馬台国のもの」なんて誰も言ってませんし、“身分の高い人の墓の可能性”と言っているだけで「卑弥呼の墓」だなんて全然言ってないのです。
どっちも今後の調査次第。
がっかりしないようあらかじめ言っておきますと、縄文期には土葬が主流でしたが、弥生期になれば大陸から伝わった「棺に遺体を納める」というタイプの墓も出てくるようになりました。
卑弥呼ほどの人でなくても墓が残っている可能性は十分あるのです。
早計から間違った情報を人に伝えてしまわないよう、注意してください。